後悔
後悔はすべきではない。
進歩的な意味で、悔いることは良いことだ。それは反省と言い換えてもいいが、過去の駄目な部分は駄目と認め、反省し、現在と未来の生きかたに修正を加える。
しかし多くの人の場合、過去の事象をもとに、なぜか「今を悔いている」のだ。
まるで、「今、この瞬間の自分がぜんぜん駄目」という落胆に陥っているのだ。
君は確かに駄目だったかもしれない。しかしそれは、昨日のことじゃないか?
今は関係ないじゃないか(笑)。
なぜ、神がプレゼントしてくれた、この新鮮な、光り輝く今という時を、後悔の闇で覆うのか。
もちろん、過去の反省を生かさずに能天気に生きるだけというのも問題はあるかもしれないけど(笑)、そうではなくて、常に今を信じる。そして未来を信じる。過去の失敗や成功は、この今と未来をより正しいものに修正していくための勉強だと考えればいい。
今や未来を信じられない?--それは、答えだけはっきり言ってしまうと、徳が足りない。
論理的にはわけがわからないかもしれないけど、できるだけエゴを捨てて、他者のために生きようとするべきだ。
実践が難しければ、そう心で考えることからでもいい。
論理的にはわけがわからないかもしれないけど、そうすれば、今や未来を信じることができるようになるだろう。
また、常に、神や、自分の本性に、恥ずかしくない生き方を選択することだ。
智慧がなくて、何が正しいかわからない、というのはしょうがないよ。
能力がなくてできない、というのももちろんしょうがないよ。
しかし自分の今の知性と能力の範囲内で、全力で、神や自分の本性に恥ずかしくないと思える生き方を選択し続ける。
そうすれば、たとえ現在の考え方や生き方が間違っていたとしても、必ずいつかは正しい道に導かれるでしょう。
最悪なのは、常に自分に言い訳をすること。自分の悪癖を肯定してしまうこと。
この辺は微妙なんだけど、後悔はしちゃいけないんだけど、自分の悪い部分を肯定してもいけない。
自分の悪い部分は徹底的に自己否定する。しかしそれはあくまでも昨日までの自分であって、今日からは生まれ変わるぞと。
今日生まれ変われなかったとしても、また明日、生まれ変わればいい。
すべては無常だ。無常だから、どんな悪人だって、心構え一つで、聖者にも神にも進化できるのだ。