帰依、修行、怒りの除去
ヨーガや仏教などの精神的/霊的修行の進め方というのは、実際にはとらえどころが無く、説明しづらく、理解しがたいものだと思う。
しかし端的なある言い方をするならば・・・・・・まずやはり、神や師や聖者、教えといったものへの揺るがぬ信、帰依心を持つことが大事だ。
そしてその上で、師がいる人は師に与えられた修行、いない人は聖典や聖者が説く修行を、淡々とやり続けることだ。
実はこれだけでもいい。これだけでも浄化が進み、正しい方向に導かれ、魂及び心身は進化し、修行は進んで行く。
というのは、この「帰依」と「与えられた修行の実践」に真面目に取り組んでいると、神や師が現象として現れてくださり、自然に修行者を浄化してくれるのだ。
たとえば何かに執着してしまったとする。それはそれでほうっておいて、帰依を高め、淡々と修行していると、たとえばあるときはその執着が強まるような現象が起き、そして次にそれを引っぺがされる現象が起きたりする。こうして自然に心は執着から離されていく。
ただしここにおいて、障害となるものがある。それが「怒り」である。
正確にいえば、怒り、嫌悪、批判心、嫉妬心、プライドなど、怒りから派生する様々な攻撃的な心である。
これがあると、たとえば上記のような執着が引っぺがされるような現象が起きた時に、その現象を嫌悪したり、あるいは最悪の場合はその大元である神や師を嫌悪することで、自分のけがれが壊れずに、帰依や信、神や師との縁の方にひびが入ってしまう。
この嫌悪から派生する攻撃的な心というのは、結局、自分を守ろうとする弱い心なのである。本当に強い者は怒らない。弱く、エゴが強いがために、そのエゴを守ろうとして周りに攻撃を向け、そしてそれは真理や神や師にまで向けられてしまうのだ。
よって「怒り」はまさに悪魔の罠であり、徹底的に排除すべきである。
まとめると、
・神、師、聖者、聖典の教えなどに対する信、帰依を高める。
・自分の中の怒り、嫌悪、批判心、嫉妬心、プライドなどを徹底的に否定し、捨てていく。
・師がいる者は師から与えられた修行、いない者は聖典や聖者が説く修行を、淡々と日々繰り返していく。
これによって自然に修行は進み、魂及び心身は進化していくでしょう。