yoga school kailas

夢覚え書き

 今朝見た夢が、壮大でドラマチックだったので覚え書き・・・

 多くの修行者が参加している修行の合宿のようなものに、私は指導者的立場で参加している。

 ある人が私に、チャクラのことや神秘体験について質問してくる。
 それに対して私が、次のようなことを言って答える。
「真の修行者は、チャクラがどうこうとかはどうでもいいし、中途半端な神秘体験もどうでもいい。
 修行の完成と、そこに至るには何を実践すればいいかということしか興味がない。
 しかしもし神秘体験をしたいなら、行法をものすごくやればいい。そしてできるだけ食事と睡眠を減らせば、神秘体験は簡単にできる。
 あるいは真の神秘体験は結局、神の恩寵を受けるしかない。
 しかしそのためには、その恩寵を受けられるだけの器をこちらがまず作らなければならない・・・」

 この最後の、器の話をしている最中で、話が中断された。
 そこにいた複数の者たちは、二台の車に乗り、走り出す。ある場所で合流しようとして、ある場所に向かう。

 ところで、このある場所に向かうシーンにおいて、また別のイメージもあった。
 そこでは私は道を歩いている。
 私の体には、普通の左右の睾丸と、同様に左右対称の球体が、体のいろんな位置についている。
 そしてその歩いている道を先に行けば行くほど、「私」は左右二つに分裂される。または、その左右を超えて、真ん中の道に入っていく。
 それは少し恐怖を感じさせるものではあったが、私はどんどん歩いていく。

 さて、そして私が、他の何人かの者と一緒にたどりついたある場所……それは富士山の一画であった。
 そこは、男と女の中間の修行者たちが住む町のようなものだった。
 この男と女の中間というのが、いわゆる性同一性障害のような人たちを指すのか、あるいはもっと別の比喩的な意味なのかは、わからなかった。

 ところで、後で、これらの複数のイメージが皆、ある一つの示唆を含んでいることにきづいた。
・二台の車の合流
・左右の分裂、そして真ん中の道に入る。
・男と女の中間の修行者たちの町
・富士(不二)山

 そう、すべてが、二つが一つになること、二元を超えた「不二」、あるいは「中」の世界への趣入のような示唆を含んでいた。

 さて、この富士山の一画の、男と女の中間の修行者たちが住む町には、私は以前にも来たことがあった。

 その町の奥にどんどん入っていくと、最初は普通の山の中の町のような感じだったが、だんだん、自然にあふれたユートピアのようなイメージの場所に変わっていった。そこに住む人たちも、何となく普通と違う。子供が多く、身体能力が高い。
 そして不思議な動物がいろいろいた。
 ドーナツのような輪っか状のものがいくつも飛んでいて、それは蛇だということだった。しかしそれが着地したところを見ると、それは蛇というより親子のトカゲというか恐竜のように見えた。
 あと、カバとヤギの中間のような動物とか笑、いろいろいた。
 また違う場面では、ライオンも出てきた。私は複数のライオンの顔を撫でたが、噛みついてきたりはせず、おとなしかった。

 さてここで、ある重要な研究の答えのようなものが、すでに解明されているということがわかった。
 そこにやって来た人々のある人たちは、それをひたすら研究していたのだが。
 我々はその「答え」のある場所へと向かう。
 研究者の一人は言う。「一生懸命研究していたことがすでに解明されていたことを知らされていなかったのは悔しいけど、それよりもそれが解明されていたという喜びの方が大きい。」
 その道中、ある女性(ダーキニー?)が、私に語りかけてくる。その答えが何なのかということは、以前にすでに私に話してあったのだという。

 大勢の者で、道を進んでいく。
 それは最初は普通の上り坂の山道のようなものであったが、どんどん急になっていき、最後には急な階段のようになる。
 それは手すりがついていたが、足元の階段のステップは、ただの岩のようなものであり、ちゃんと手すりをつかんでいないと、いつ足を滑らせて落ちてしまうかわからない。
 私の前には、一人の女性(ダーキニー?)と、複数の子供たちが登っていた。
 もし私の前の者たちが足を滑らせて落ちそうになっても、私のところで受け止めてせき止めなければならないと思い、私は手すりをしっかり握る。

 しかし相当登ってきたが、まだゴールが見えない。後ろを振り向くと、恐怖が出たり、心が萎えるかもしれないので、振り向かずにとにかく進み続けると決める。

 ついに頂上に到達する。階段の頂上は小さなスペースで、いったんそこに登ったあと、今度は下り坂になる。
 私の前を進んでいた女性と子供たち、そして他の何人かの者が、その頂上に登り、向こう側へ降りていく。
 そして次に私もその頂上に登ろうと思ったのだが……私が登ろうとすると、その重みで、その梯子のようなものがぐらつく。もしかするとそれによって梯子すべてが崩れ、みんなが落ちてしまうかもしれない。
 そこで私は完全な頂上には登らず、頂上一歩手前のところで、何か別の足場に身を移し、様子を見ている。

 そうこうしているうちに、そこの風景が……それまでは、霧に包まれた、雪山のような、ユートピアのような、天界のような風景だったのだが、ごく普通の現世的な、日常的な風景に変わる。本屋さんや図書館のようなイメージ。そしてその外は、しゃれた、洗練された町のような世界になった。
 その本屋のような場所には、様々な精神世界の本が置かれていたが、私はそれらをすでに読んでいるか、または興味の持てないものばかりだったので、手に取らない。
 神聖な世界へ向かう梯子のように見えていたものは、ただの脚立のようなものに変わる笑
 
 そしてある人が、その梯子を登って来ていた多くの人に説明する。
 この先にあるものは、実はそんなに大したものではないということを説明しているようだった。
 「共同幻想とは・・・」「19××年には・・・」「心理学では・・・」みたいな、もっともらしいナレーションも流れる。
 多くの人が、それらの説明を信じ、自分が信じていたものは幻だったのか、たいしたものではなかったのか、と落胆し、家に帰っていく。
 私はある人に聞いた。
「彼らはどこに?」
「家に帰ったよ。」
「なぜ?」
「テレビを見るためさ。」
「高校野球か!」

 高校野球のシーズンだったらしい笑

 さて、このようにして、まあいわば、信じていたユートピア、あるいは「答え」なるものが幻に過ぎなかったと落胆して、道を登ってきた多くの者たちが帰っていった。

 かなりの数の人たちが帰ったが、全員が帰ったわけではなく、ある一定数の人々は残っている。

 どうやらここから先が本当の「答え」のようだ。

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