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信・精進・念・サマーディ・智慧


 原始仏教の修行法の一つであり、また「ヨーガ・スートラ」でも説かれる信・精進・念・サマーディ・智慧の五つのプロセスは、シンプルではあるが、とても有益でわかりやすく、実践すべき修行プロセスである。

1.信

 教えに対する信
 神やブッダに対する信
 師に対する信
 修行の効果に対する信
 修行する意味に対する信
 修行の到達点に対する信
 自分がそれを成し遂げるということに対する信
 そして、論理を超えた純粋なる信

 これらがないと、全力で励むことはできない。

 短い人生、いつか必ず終わる人生、
 どうせやるなら、不信や疑念を持たずに、
 永遠なるものを目指して全力で走るために、
 まずはこの信を固めなければならない。

 現実的な問題として、意識がスワーディスターナ・チャクラにあると、疑念が出て、信が育たない。
 現代は性欲の情報が氾濫しているので、それによって意識がスワーディスターナ・チャクラに落下し、狭い世界に意識が観念的に固定され、おどおどしてエゴを守るようになり、信が育たないケースが多々見られる。

 よって、性的な情報や煩悩をある程度捨て断つことが必要になってくると思います。

2.精進

 信が確定すれば、その人は自然に、教えの精進、修行の精進へと向かう。

 教えを学び、教え通り生きる。

 与えられた修行を全力でおこなう。

 徹底的に徳を積み、悪を捨てる。

 そこでやってくる浄化の苦しみに耐える。
 
 これによって徹底的にカルマが浄化されていく。

 心の光が強まる。

3.念

 念(サティ)にはいろいろな意味があるが、よくいわれるような、一瞬一瞬の自覚だけでは、あまり意味がない。
 そうではなくて、一瞬一瞬、自分の心をチェックし、教えとずれていないかを監視し、常に正しい思いを念じながら生きるのである。
 あるいは単純に、神やブッダなどを念じ続けるのでもいい。
 詞章などを唱え続けるのもいい。

 これにより、心、そしてサンスカーラが浄化される。

4.サマーディ

 ここまでの信、精進、念のプロセスができていないと、正しいサマーディには入れない。
 正しいサマーディとは、透明で静かで明るい心の湖に潜るということだ。

 信・精進・念が確定されずに無理矢理サマーディに入った場合、それはちょうど、濁って波立って暗い湖に潜ったようなものだ。
 そこには何のメリットもない。

 信・精進・念の深まりによって、心は透明になり、静まり、光り輝く。
 これは本当のことなのだ。そして本当に重要なことなんだよ。
 あなたがもし瞑想をしないとしても、この透明で静かで明るい心の状態は、大いなる恩恵をもたらすだろう。

 この状態で、心の湖に深く潜っていったとき、正しいサマーディが生じる。

 そこには、大いなる至福と、大いなる光と、心の停止状態がある。
 この至福・光・心の停止のいずれかがまだ足りないとしたら、それはまだ信・精進・念のプロセスにおいて不備があるということだ。

5.智慧

 正しいサマーディに入り、大いなる至福・光・心の停止を得ただけでも、それはとても幸せなことだが、まだ悟りとはいえない。
 悟りではないが、悟りの条件は整ったということだ。ヨーガ的にいえば、純粋なるサットヴァ性が強まった状態だ。心は透明で静かになった。明かりもある。あとは「観る」だけだ。

 そう、正観(ヴィパッサナー)という言葉にも多様な段階があるが、本当の、というか最も高度なヴィパッサナーは、ここで訪れる。その静かで透明で輝く心の奥へ奥へと潜り、「観る」のだ。

 そしてすべて現象の本性を見つけ出すのだ。

 この信・精進・念・サマーディ・智慧の五つのプロセスは、何度も何度も繰り返し、レベルアップしていかなければならない。

 そして最終的には、

 論理を超えた純粋な信、
 努力なき精進、
 努力なく連続した正念、
 努力なく24時間連続するサマーディ、
 そして現象と一体化した智慧

 この境地に至るだろう。それまでは懸命に努力するべし。

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