五つの容器
私たちの本質である真我は五つの容器で覆われている。
その一番外側は食物の容器と呼ばれる。これはすなわち肉体である。
ではなぜ肉体が食物の容器と呼ばれるのか。それは肉体が、結局毎日摂取する食物によって作られた血肉によって形成された存在に過ぎないからだ。
逆の言い方をすれば、この一番外側の肉体を維持するためには、私たちは食物をとらなければならない。
外側から二番目の容器、これは生気の容器と呼ばれる。生気とはプラーナといい、この宇宙に偏満する生命エネルギーだ。よってこの生気の容器を維持するのに必要なのは生気を効果的に採り入れる呼吸法であり、プラーナーヤーマという。
三番目の容器は意思の容器。これはいわゆる心の容器だ。この心の容器を健康に保つには、瞑想が不可欠だ。
四番目の容器は理智の容器。これは正しい分析的な思索によって磨かれる。いわゆるジュニャーナ・ヨーガだ。
そして最後に真我に最も近いのが、歓喜の容器と呼ばれるものだ。これは神への純粋な信仰(バクティ・ヨーガ)によって満たされ、私たちは歓喜に満たされることになる。
よってわたしたちは、
①肉体を維持するために正しい食物をとり、またアーサナを行ない、
②生気を充実させるために呼吸法を行ない、
③心を充実させるために瞑想を行ない、
④理智を磨くために正しい思索(ジュニャーナ・ヨーガ)を行ない、
⑤歓喜に浸るために神への純粋な信仰(バクティ・ヨーガ)に没頭しなければならないのである。
ではその中心にある真我の特性は何か? それは絶対的な真理・智慧・至福である。