yoga school kailas

ヴァイラーギャ・マーラー(放棄の花輪)(52)

第十一章「忠告」

50.至福と快楽

 至福は自身に内在する真我から生じ、
 快楽は対象との接触から生じる。
 それは対象への心の至福の反映である。
 精神的な至福は最高のものだ。
 それは絶え間なく、不変で、永遠だ。
 それは賢人によってのみ享受される。
 他の生き物によって享受される幸福は、その破片でしかない。
 人間の快楽が打ち砕かれるのは、悲哀、苦痛、落胆、そして失敗によってである。
 精神的な至福は、自身の魂の至福である。
 それは対象によらない、超絶的至福である。
 それに対して、性的快楽は対象に左右される。
 あなたが本気で考え出したら、性的快楽は苦痛でしかない。
 それはバランティ・スッカ、すなわち錯覚である。
 それは神経の疼きという、些細な満足である。
 世俗的な精神の、無智な人々にとっては。
 それはヴィヴェーキや探求者にとっては価値のないものだ。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする