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ラーマクリシュナ自身が語る修行経験(1)


ラーマクリシュナ「サーダナー(成就法)時代には、私は瞑想をすると、手に三叉の矛を持った人が自分のそばに座っているのを実際に見たものだ。彼は、私の心が神の蓮華の御足に向いていなかったら、その武器で私を打つと脅し、もし私の心が神の外に迷い出たなら、この矛が私の胸を刺し貫くだろうと警告した。

 母なる神は私を、時にはニティヤからリーラーに下りて来、時にはリーラーからニティヤに上昇する、というような状態におおきになった。

 あるときは、心がリーラーに降りると私は昼も夜もシーターとラーマを瞑想した。そのような時、私は絶えずシーターとラーマを見ていた。ラームラーラー(幼児ラーマ。ここでは、ある聖者から送られたラーマの像のこと)は常に私の伴侶だった。私はときおり彼に沐浴をさせ、またときおりは彼にものを食べさせた。

 また私はラーダーとクリシュナという理想に熱中し、絶えず彼らの姿を見た。またゴウラーンガにも熱中したものだ。彼は、プルシャとプラクリティとの、二つの理想の調和だ。このようなときにはいつも、ゴウラーンガの姿を見たものだ。

 それから、一つの変化が起こった。心が、リーラーの段階からニティヤに昇ったのだ。私は神聖なトゥルシーと普通のサジナー草との差別を見なかった。もはや、神の姿を見ても喜ばなかった。心の中で、『彼らは行ったり来たりするものだ』と思った。自分の心を彼らよりも高くに上げたのだ。私は部屋から神々、女神たちの絵を全部取り除いて、本源のプルシャ(真我)、すなわち不可分のサチダーナンダ(純粋な実在・意識・歓喜)を瞑想し始め、自分を彼の召使女と見た。

 私はあらゆる種類のサーダナーを修行した。サットヴァ的、ラジャス的、タマス的という三種類のサーダナーがある。
 サットヴァ的なサーダナーの場合、信者は深い憧れをもって主に呼びかけるか、あるいはただ御名を繰り返すだけにする。彼は報いとして結果を求めるようなことは全くしない。
 ラジャス的なサーダナーは、プラスチャラナや、聖地巡礼や、火の苦行や、十六個の道具をそろえて行なう礼拝など、さまざまの儀式を命じる。
 タマス的なサーダナーは、タマスの力を借りて行なう礼拝だ。タマス的な信者の態度はこうだ。
『カーリー万歳! 何? あなたはご自身を、私にお示しくださらないのですか。もしお示しくださらないなら、私は刀で自分の喉をついてしまいます!』
 この修行においては、一般に行なわれている潔斎は守らない。それはタントラが命じている修行のあるものに似ている。」

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