ヨーギン・マー(2)
1882年、ヨーギン・マーはバララーム・ボースの家で初めてシュリー・ラーマクリシュナに会いました。
彼女は回想録でこう述べています。
「バララーム・バ-ブはわたしの夫の母方の叔父でした。
ある日、シュリー・ラーマクリシュナは彼の家に来られ、わたしたちは彼に会いに行きました。
それが初めて彼に会ったときでした。
師は部屋の一隅に立ちながら深いサマーディに入っていました。
彼には外界の意識はありませんでした。
誰もあえて彼に触れていなかったので、人々は遠くから彼に会釈していました。わたしたちもまた、同じようにしました。
そのときはわたしは、サマーディとは何か全く知りませんでした。
わたしは最初、彼が酔っぱらったカーリーの信者なのだと思いました。
師に最初にお会いしたとき、彼のことを理解できませんでした。
さらに、一瞬、ある思いがわたしの頭をよぎりました。
わたしの家庭生活が酒に酔った夫によって台無しにされたこと。そしてわたしはこの一見酔った人の影響を介して、わたしの精神的な生活を元に戻す必要があるのだろうかということを。
そして徐々にわたしは師と親しくなっていきました。」
興味深いことに、ヨーギン・マーの母方の祖母が、おそらく1870年代後半に、ドッキネッショルでシュリー・ラーマクリシュナに会っていたのです。
当時ケシャブ・チャンドラ・センが彼の新聞や雑誌にシュリー・ラーマクリシュナについて書いていたので、カルカッタの人々は彼のことを知っていました。
ヨーギン・マーの祖母は新聞で師について読み、彼に会うためにドッキネッショルに行きました。
驚いたことに、そこに到着して彼女が最初に遭遇した人が、シュリー・ラーマクリシュナご自身でした。
服装や外見について何も変わったところがなかったので、彼女は彼が誰であるか分かりませんでした。
彼女は師に呼びかけ、尋ねました。
「どこにラーマクリシュナ・パラマハンサはいらっしゃるのですか? どうしたら彼にお会いできるのでしょうか?」
師はお答えになりました。
「わたしが彼について何を知っているというのですか? 一部の人々は彼を『パラマハンサ』と呼んでいます。ある人々は彼を『若い僧』と呼びます。また他の人々は『ガダーダル・チャットーパーディヤーエ』と呼びます。どうか他の誰かに彼を見つける手助けを依頼してください。」
残念ながら、そのときにはそれ以上の進展はありませんでした。
ともかくシュリー・ラーマクリシュナのことはおそらくそれほど重要ではなかったのだろうと考え、彼女は興味を失いました。彼女はしばらく寺院の庭園の周りを歩いた後、家に帰ったのでした。
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