yoga school kailas

ヨーギン・マー(1)

「苦行とは強さの源、解放への手段である。」

と、ヒンドゥー教の経典には述べられています。

 神々は苦行を実践することによって神性を実現します。
 賢者は苦行を通して完全性を得ます。
 人間は苦行の力によって障害を克服し、人生において成功を得ることができます。
 精神生活と苦行の実践はいつも共にあります。
 人が苦行と精神的な規律を持たずに神を実現できるということは信じ難いことです。
 ヨーギン・マーの生き方は、古代インド人が理想とする女性らしさや苦行の生き生きとした模範です。
 彼女は、奉仕の精神と卓越した霊的な智慧を持ち、素晴らしい落着きと愛らしさをその人格の中に併せ持っていました。
 彼女はシュリー・ラーマクリシュナの著名な女性弟子の一人でした。

 かつて、師(ラーマクリシュナ)は、彼女についてこう述べました。

「彼女は、神の恩寵によって完成されたゴーピーなのだよ。」

 1851年1月16日、ヨーギンドラ・モーヒニー・ミトラ、略してヨーギン・マーは、カルカッタ北部のバグ・バザールに生まれました。
 彼女の一家は、シュリー・ラーマクリシュナの在家の弟子であるバララーム・ボースの家のとても近くに住んでいました。
 ヨーギン・マーの父、プラサンナ・クマール・ミトラは内科医であり、また助産師としてもよく知られていました。
 彼は日常の診療のほかに、カルカッタの医科大学で講義も行なっていました。
 プラサンナはかなり裕福で、庭付きの大きな家を所有しており、その傍らにはシヴァ寺院がありました。
 ヨーギン・マーは、彼が再婚してできた次女でした。

 ヨーギン・マーは7歳のとき、カルカッタから北に12マイル離れたカルダという村の富豪で名家の養子であるアンビカーチャラン・ビスワスと結婚しました。
 ビスワスの家族は、その信心深さと慈善活動のためによく知られており、家族のうちの何人かは、タントラの儀式に精通していました。
 彼らの祖先の一人であるプランクリシュナ・ビスワスは、プラーナトーシニー・タントラというタントラ経典の有名な論文をまとめました。
 彼らの家族の主神はヴィシュヌ神でした。多くの裕福な家庭がそうするように、ビスワスの家族は10万個のシャラグラマ・シーラ(主ヴィシュヌの象徴の神聖な石)を使った聖堂を建てて、有名になることを望んでいました。しかし彼らは8万個のシーラしか集めることができなかったため、その事業は成功しませんでした。

 ヨーギン・マーの両親は、娘が信仰深く裕福な家の者と結婚したことをとても嬉しく思っていました。
 当時、幼少時の結婚は社会の慣習でしたが、ヨーギン・マーは結婚したときには夫と一緒に暮らしませんでした。ある程度成長してからやっと、彼女はカルダに行き、アンビカーチャランと一緒に暮らし始めたのでした。
 しかし残念なことに、彼女はすぐにこの裕福な若者は大酒飲みの放蕩者だということに気づきました。
 アンビカーチャランは父親から多くの財産と富を相続しましたが、あっという間にそれを浪費してしまいました。
 彼は非常な浪費家でした。ある日、彼は500ルピーの手形で水キセルのタバコに火をつけるように召使いに要求したこともありました。
 そして彼はすぐに一文無しになりました。
 ヨーギン・マーは彼の人生を変えようとしましたが、無駄でした。
 彼女は彼との間にガヌという名の娘ともう一人の息子をもうけましたが、息子は生後6ヶ月で亡くなりました。
 あるとき、ついに我慢の限界がやってきました。夫の不道徳な生活に嫌気がさし、彼女はついに彼との関係を断絶して、娘を連れて、実家に戻りました。
 そのときにはヨーギン・マーの父親はすでに他界していましたが、母親は温かく二人を迎えました。
 ガヌが成長すると、ヨーギン・マーは彼女の結婚を手配しました。

 穏やかで幸せな家庭生活が粉々になり、ヨーギン・マーは大きな喪失感を感じていました。
 不安や落ち着きのなさに苛まれ、彼女は残りの人生をどう過ごしたらいいのか悩みました。
 この心の中の嵐が通り過ぎ去ったちょうどそのころ、神の恩寵によって、彼女の新しい人生は開かれたのでした。

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