ヨーガの基礎(5)
◎不所有
はい、そして五番目が、これもちょっと難しいんだけど、不所有です。不所有っていうのは、これは物理的な問題ではありません。不所有っていうのは「何も持つな」っていうことだけど、物理的に何も持つなということではありません。精神的に何も持つなということです。
精神的に何も持つなっていうのはどういうことかというと、つまり、もちろん日本で生きている以上、便宜上いろんなものを持ってますね。家を持っている。あるいはパソコンを持っている。服も持っているし、食器もあるし、いろんなものがある。しかし、それら一切に対して「わたしのもの」っていう感覚を持っちゃいけないんです。
ちょっと深い話になっちゃうけども、ヨーガが最終的に求めようとしている境地っていうのは――ちょっと難しくなっちゃうけど、簡単に言いますけどね――「梵我一如」と呼ばれる境地があります。これは何かというと、これは仏教ともかなりかかわるんですが、わたしが今わたしって思っているわたしはわたしではないと。ね。つまり、このエゴと呼ばれるものというのは、実際は偽りの自分であって、そうじゃないもっと本当のわたし――ヨーガでは「真我」というんですが――それを探すわけだね。
例えば、自分は今自分のプライドにこだわって、いろいろ怒ったりしているけども、いったいわたしはプライドで何を守ろうとしてるのかと。そういうことを探していくと、「あれ? 何もないじゃないか」っていうことに気づいてくる。そういうのをどんどん突き詰めていくと、最終的には――この「梵」というのはブラフマンっていうんですが、ヨーガでいうところの「宇宙のすべてに広がっている唯一の実体」みたいなものだね。それとわたし自身、わたしだと思っているこれは、全く変わりがなかったと。つまりこれは実際に悟らないと言葉だけの話になっちゃうけど、わたしもあなたもこの世界も一切なんの壁もない、なんの違いもない、すべては完全に溶け込んでる――っていう境地があります。そこに至るためにわれわれがやらなきゃいけないことっていうのは――「わたし」「わたしのもの」、この二つが大きな迷妄なんだね。つまりわたしじゃないものをわたしってわれわれは思ってしまう。わたしのものなんてこの世に何もないんだけど、わたしのものって思ってしまう。
これも話すと長くなってしまうので、これをみなさん考えてください。「わたし」と「わたしのもの」――これがわれわれを迷妄というか、迷いの世界にむすびつけてるんです。これから完全に離れるのはなかなか難しいんだけど、少なくとも日常生活においてできるだけ「わたしのもの」という感覚をなくしていく。
つまりこれはどういうことかっていうとね、例えば便宜上わたしの前には何かがあるが――例えばステレオ買いましたと。ステレオいいなと。音楽を聴いてる。それはそれで構わない。しかし極端な話をすると、そこに誰かがやってきて勝手にステレオを持っていったとしても、「ああ、どうぞどうぞ」と(笑)。つまり、「わたしのもの」という意識があると、「何をするんだ!」ってなってしまうけど、別にわたしのものと思ってなくて、「一応今楽しんでいたけど、君、持っていくならまあいいよ」と。それくらいの離れた意識っていうかな。今のはちょっと極端な例だけど、できるだけそういう「これはおれのものだ」っていう意識を弱めていく実践をすると、これもヨーガ修行に非常に有効になります。