マハープルシャ・シヴァーナンダの生涯(長編)(15)
二年半の間、スワミは、彼自身の修行生活と、できたばかりの教団の組織を安定させるための手伝いのバランスを上手くとって、バラナゴルに静かに暮らした。
これらの日々は、寂静の境地にどっぷり浸かっていたので、何事も彼にとっては取るにたりないことのように思えた。肉体的な必要性や快適さを満たすことさえも。
当然のことながら、ある人は、純粋な神への探求から引き離してしまう僧院の仕事をこなすことは、彼にとって困難なことだろうと考えた。苦行と瞑想による内的生活に加えて、僧院には、無視できないある一定の組織的責任と活動という外的な罠があったのだ。他の諸々の事の中でも、僧院を維持し支えて行くため、また出家修行者の物質的・知的必要性を満たすために資金を集めること、社会的義務に加えて様々な雑用にも注意を払う必要があった。
初期の段階におけるバラナゴル僧院は、これらの様々な問題を抱えていたために、経済的にうまくまわしていくことが難しく、悪戦苦闘していた。
マハープルシャは、最も古参の修行者のうちの一人だったので、提案やアドバイスや指導を求められたし、自分の役目を非常によくこなした。彼は、教団に関わることはどんなことでも神聖視した。
スワミのベンガル語版の伝記を書いたスワミ・アプルヴァーナンダはこう言った。
「僧院が創立されると、マハープルシャは、高い・低い、あるいは神聖・世俗的という偏狭な考え方にとらわれない独自の広い視野を示しました。まるで無垢な子供のように、彼は平穏のうちに、マトに関わることをすべて、神聖な献身の精神で行なったのでした。
台所で野菜を刻むとか、ガンガーから水を運んでくる、部屋を掃いたり埃をはたいたり、トイレの清掃のような単調で退屈な作業までもが、彼の日々の日課となっていました。彼が仕事にかかると、人は、彼がアカンダ・サチダーナンダ――究極の実在・智慧・歓喜の響きを持った鼻歌を歌っているのが聞こえてきたものでした。彼は常に深い霊的覚醒状態を維持していて、至高の状態に心を合わせていたのです。」
もし出家者や信者が病を患うと、スワミは喜んで自分の瞑想を控えて、愛を込めて患者の世話をし、彼が回復するまで彼の傍に座ったものだった。
あるとき、兄弟弟子であるスワミ・ヨーガーナンダが、ガンガーとヤムナー河の合流点の聖地、ウッタラ・プラデーシュのアラハバードで悪性の天然痘に罹って倒れた。
バラナゴルにその知らせが届くや否や、皆が大変心配した。マハープルシャは奉仕を申し出て、病気の兄弟弟子の世話をするためにヴィヴェーカーナンダと共にアラハバードへと向かった。
天然痘は性質の悪い病で、患者にものすごい痛みと苦痛を与える。マハープルシャは、ヨーガーナンダの苦痛を和らげるために手を尽くし、昼夜を問わず看病した。彼の看病は、まるで病人を自分自身であるかのように見なしてなされていたという意味で、並外れたものがあった。シュリー・ラーマクリシュナの在家信者でさえも、彼らが病に伏したときには、マハープルシャに看病されたものだった。
しばらく後、在家信者のバララーム・ボースがカルカッタの自宅で肺炎にかかり、重篤な状態にあったとき、スワミは彼の床へ駆けつけ、彼が亡くなるまで、他の人達と共に彼の看病をした。
丁度そのときは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダとスワミ・ブラフマーナンダがたまたま他の地にいたために、マハープルシャがバララームの治療と看病の責任を負ったのだった。
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