マハープルシャ・シヴァーナンダの生涯(長編)(10)
家庭の事情により、ターラクは結婚をすることを強いられた。生まれながらに出家修行者的な傾向を持つ彼は、結婚というしがらみを、大変な障害だとみなした。
しかし、神の恩寵によって、彼は落胆するどころか、勇気と強さを奮い起こしたのだった。彼は一瞬でも五感や世俗的な快楽のために、彼の理想――神のヴィジョン――を危険にさらそうなど、考えもしなかった。
彼の数年間の結婚生活は、完全な寂静と自制に特徴付けられたものとなった。
これを可能にしたのは、彼の妻ニティヤカーリー・デーヴィーの霊的気質もさることながら、シュリー・ラーマクリシュナの神聖な影響と、ターラク自身の内面の純潔さ、目的意識の固さによるものだったのである。
ニティヤカーリー・デーヴィーは、高貴な価値観を持ち、生涯にわたって、決して夫の邪魔をすることなく、神聖な夫の足跡を辿った。
1883年の終わり頃、彼女は人生の青春期に突如病に倒れ、数日間煩った後に亡くなった。ターラクは、亡くなった妻の永遠の休息への心からの祈りと共に、彼女の葬儀とそれに伴う諸々の諸事を執り行なった。
その後まもなく、彼は世俗の地位を棄て、聖ラーマクリシュナの存命中に、重要な一歩――正式な世俗の放棄――を踏み出す決意を固めたのだった。
まず最初に彼は父親のもとへ行き、その願いを打ち明けた。父ラーム・カナイは深く感動し、ターラクに家族のお寺へ行き、女神様の御前に礼拝するように言った。
そして、自らの手を息子の頭上に置いて、「おまえが神を悟りますように! かつてわたしも試みたのだ。出家しようとまで考えたが、わたしにはその運命はなかった。わたしは、おまえが神を悟るよう祈っているよ!」と言いながら、何度も彼を祝福した。ターラクは大変満足して、まっすぐにドッキネッショルへ行き、自らの身に起こった出来事と出家の意をシュリー・ラーマ・クリシュナに報告したのだった。
師は大変お喜びになり、まるで前もってすべて分かっていたかのように振舞われ、ターラクの出家に対して、心からの承認をお与えになった。
そのずっと後に、シュリー・ラーマ・クリシュナの在家信者のバララーム・ボース宅で、「結婚生活を送る上で禁欲を唱えることに実質的な意味があるのか」という議論を交わしていた際、ナレン(スワミ・ヴィヴェーカナンダ)は、結婚生活において禁欲が遵守されることはほとんどなく、シュリー・ラーマクリシュナのケースは例外であると述べた。
そこに同席していたターラクは、謙虚な面持ちで、師の恩寵により、彼の結婚生活においてもまた、禁欲の遵守が可能であったと答えた。
それを聞いたナレンは、「ならば君は偉大な魂(マハープルシャ)に違いない!」と言ってターラクを褒め称えた。この発言から、以後ターラクは、兄弟弟子たちから「マハープルシャ」あるいは「マハープルシャジ」と呼ばれるようになったのだった。