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マイトレーヤ菩薩

「華厳経 入法界品」より
マイトレーヤ菩薩
(抜粋・要約)

 スダナ童子は、マイトレーヤの住処である「ヴァイローチャナ荘厳蔵」という大楼閣の前に立って、まばたきもせずに一心に仰ぎ見てから、合掌して、何回となく右回りの礼をし、次のような思いを述べた。

「この大楼閣は空・無相・無願を悟った者の住処である。
 すべての法・物に対して妄想分別を離れた者の住処である。
 法界は物・対象として分別することができないと悟った者の住処である。
 すべての衆生は対象として把握できるものではないと知った者の住処である。
 すべての世界に家なき者の住処である。
 どんな住まいにもとらわれない者の住処である。
 どんな集落をも願わない者の住処である。
 どんな境界をもよりどころとしない者の住処である。
 煩悩から生起するあらゆる想念を離れた者の住処である。
 すべての法は自性がないものであると悟った者の住処である。
 あらゆる妄想分別とカルマを断じた者の住処である。
 すべての想念と心と意を離れた者の住処である。

 (中略)

 この楼閣は大慈大悲に住する者の住処である。
 すべての声聞・独覚の叡智に到達し、すべての悪魔の境界を越え、この世のいかなる境界によっても汚染せられず、菩薩が到達した岸、すなわち智慧の彼岸に到達し、如来の住処をおのが住処とする者の住処である。

 『諸行無常・諸法無我』と知って、物の存在するいろいろな相にとらわれることを離れているといっても、声聞の正位に入らず、諸法は自性としては不生であると悟っているといっても、『法の不生』という概念的な分別に陥らない。この楼閣はこうした者の住処である。

 世間は不浄でけがれたものであると観ずるといっても、観念的な厭離・離貪という正覚にいたらず、といって貪欲になじむこともない。
 慈愛を行ずるといっても、観念的に「怒りを離れる」という正覚に至らず、といって怒りの垢に染まることもない。
 縁起の道理を観察するといっても、観念的に「よこしまな道理に迷う迷妄を離れる」という正覚に至らず、といって迷妄に迷うこともない。
 この楼閣はこうした者の住処である。

 四つのディヤーナを住処とするといっても、その修習するところの瞑想の果報として至福の天界に生まれることをしない。
 四無量心を行ずるといっても、色界に生まれず、衆生を教化するために欲界にとどまる。
 四無色定を修習するといっても、大悲のゆえに無色界に住しようとはしない。
 この楼閣はこうした者の住処である。

 『物に対する執着を捨てる』といっても、衆生を教化する事を捨てない。この楼閣はこうした者の住処である。

 空を観ずるといっても『空に執着する見解』を起こさず、無相の境界に住するといっても、相に執着する衆生を教化し、すべての願いを離れるといっても、菩薩としての願いを捨てない。この楼閣はこうした者の住処である。

 あらゆるカルマと煩悩を自在に制御しているといっても、衆生を教化する為にカルマと煩悩に支配される相を現わし、自性として把握されるような生死の本体はないと知っていても、衆生を教化する為に生死の身を受けることを示し、あらゆる生存の世界を離れていても、衆生を教化するためにあらゆる生存の世界に入っていく。この楼閣はこうした者の住処である。

 慈愛を行ずるといっても、衆生に対する情におぼれることはない。
 慈悲を行ずるといっても、衆生に対する愛着におぼれることはない。
 喜を行ずるといっても、苦しみ悩める衆生を見ては、常に心に憂い悲しむ。
 捨を行ずるといっても、他の人々を利益することを捨てない。
 この楼閣はこうした者の住処である。

 九次第定を行ずるといっても、欲界に生を受けることをいとわない。
 すべての法・物は自性としての生はなく、滅もないと知るといっても、生滅を離れた真実の世界に安住することをしない。
 三解脱門に入るといっても、声聞の解脱にとらわれることをしない。
 四つの聖なる真理を観察するといっても、声聞のアラハットの悟りに安住しない。
 甚深な縁起を観察するといっても、絶対の寂滅に堕することをしない。
 世間から解放される道である八正道を修習するといっても、永久に世間を出てしまわない。
 凡夫の境地を超えるといっても、声聞・独覚の境地に堕さない。
 五取蘊は空であると観ずるといっても、もろもろの蘊の完全な滅尽に住することをしない。
 四魔(五蘊・煩悩・死・天魔)の住む領域を超出しているといっても、四魔を恐れ分別する心を捨ててはいない。
 六処に対する分別を捨てているといっても、六処の完全な滅尽に住しているわけではない。
 真如に安住するといっても、究極の悟りの世界に沈んでしまうことをしない。
 すべての乗・法門によって解脱に向かうことを教えるといっても、決して大乗の法を捨てない。
 この楼閣はまさにこうした優れた徳のある者の住処である。」

 スダナ童子は問うた。

「聖なるお方よ、あなたはどこから来られたか。」

 マイトレーヤは言った。

「良家の子よ、菩薩たちは、来るという事もなく、去るという事もない。このような仕方でくるのです。つまり、菩薩は来るとか去るとかいう分別・はからいを離れているのです。
 動くということもなく、とどまるということもない。このような仕方で来るのです。
 よりどころもなければ、住む家もない。
 死ぬこともなければ、生まれることもない。
 住することもなければ、移動することもない。
 動くこともなければ、生起することもない。
 願慮することもなければ、執着することもない。
 行為もなければ、行為の果報もない。
 生ずることもなければ、滅することもない。
 常住でもなければ、断滅することもない。
 このような仕方で来るのです。

 けれども、良家の子よ、菩薩は大悲の世界からやってくる。それはもろもろの生ある者を教化しようと願うからです。
 大慈の世界からやってくる。それはもろもろの生ある者を苦悩から救済しようとするからです。
 戒が清浄に保たれている世界からやってくる。それは戒行の果報として、菩薩は願うところいかなるところにでも生ずるからです。
 大願の世界からやってくる。それは過去世からの願力に動かされるからです。
 神通の世界からやってくる。すべての衆生の願いに応じて安楽を示現するからです。
 無作の世界からやってくる。菩薩はすべてのブッダの足元を離れることがないからです。
 物を取り、捨てるという分別を離れた世界からやってくる。動作・行動のために心身を労することがないからです。
 智慧と方便の世界からやってくる。すべての衆生の機類に順応するからです。
 種々に身を化作するという姿でもやってくる。菩薩は影が形に添うように、いろいろに変化の身を示現するからです。

 けれども、良家の子よ、もしあなたが『あなたはどこから来られたか』と問うならば、私は生まれ故郷のマラダ国というところからやってきたのです。良家の子よ、そのマラダ国にクティという村がある。そこにゴーパーラカという長者が住んでいる。私は、その長者を教化して仏法に入らせるために、そこに住んでいたのです。また父母や親族のブラーフマナたちに法を説いて、大乗に入らしめるために、そこに住んでいたのです。そしてそれらの人たちを皆大乗に入らしめることができたので、今私は、ここにやってきたのです。」

 スダナ童子は問うた。

「聖なるお方、それでは、菩薩の母国とはいかなるものでしょうか。」

 マイトレーヤは言った。

「良家の子よ、菩薩には十の母国がある。
 ①菩提心を発こすことは菩薩の母国である。菩薩の家に生ぜしめるからです。
 ②高潔な心は菩薩の母国である。すばらしき友の家に生ぜしめるからです。
 ③菩薩のもろもろの段階に住することは菩薩の母国である。パーラミターの家に生ぜしめるからです。
 ④発願は菩薩の母国である。すばらしい菩薩行の家に生ぜしめるからです。
 ⑤大悲は菩薩の母国である。布施・愛語・利行・同事の家に生ぜしめるからです。
 ⑥あるがままにものを観察することは菩薩の母国である。智慧のパーラミターの家に生ぜしめるからです。
 ⑦大乗は菩薩の母国である。巧みな方便の家に生ぜしめるからです。
 ⑧衆生を教化することは菩薩の母国である。仏陀の家に生ぜしめるからです。
 ⑨智慧と方便は菩薩の母国である。無生法忍の家に生ぜしめるからです。
 ⑩あらゆる仏陀の教えを実習することは菩薩の母国である。過去・現在・未来のすべての如来の家に生ぜしめるからです。

 それでは菩薩の家とはどういうものであるかといえば、良家の子よ、菩薩は智慧のパーラミターを母とし、巧みな方便を父とし、布施のパーラミターを乳母とし、戒のパーラミターを義母とし、忍辱のパーラミターを身の飾りとし、精進のパーラミターを養育者とし、禅定のパーラミターを行ないを清めてくれる人とし、すばらしき友を教師とし、すべての菩提分法を友とし、あらゆる善法を親族とし、菩薩のもろもろの段階に住することを家に住することとし、耐え忍ぶことを家柄の良さとし、大願を発することを家訓とし、行ないを清めることを家法に沿うこととし、大乗を人に勧めて受け入れさせることを家業を継ぐこととし、法の水で灌頂せられた「次生ブッダになる菩薩」を法王子とし、悟りを成就することをもって家系を清めることとしている。

(中略)

 良家の子よ、菩薩は以上のように高貴な家に生まれるとき、すべてのものはみな影像のように実体がないものであると知るから、いかなる世界に生まれることも厭い嫌うことはありません。
 すべてのものは魔術によって化作されたもののように真実なものではないと知るから、いかなる迷妄の世界にあっても汚されることはありません。
 すべてのものは我として捉えられるものではないと知るから、衆生を教化する上において倦み疲れることはありません。
 大慈大悲を身とするから、衆生を摂め取って疲れることがありません。
 生死は夢のようにはかないものであると理解するから、すべてのカルパの間、生死を経巡っても恐れることはありません。
 もろもろの蘊はみな幻のように生じては滅するものであると知るから、生死を繰り返しても厭い疲れることはありません。
 十二処・十八界は法界のごとく対象として把握されるものではないと知るから、いかなる世界においても害されることはありません。
 すべての想念は陽炎のようにはかないものであると知るから、いかなる生死の状態においても迷妄に迷うことはありません。
 すべてのものはみな幻のように実体のないものであると悟るから、いかなる魔の世界に入っても染められることはありません。
 ブッダの法身を得ているから、少しも煩悩にだまされることはありません。
 いかなる世界にも自在に生まれることができるから、あらゆる生存の姿を知り尽くした者となるのです。
 
(中略)

 そして、良家の子よ、私は過去世において、私と同じ行を修しながら、今生において菩提心を失ってしまった人々を教化するために、また父母や親族を教化するために、そして、彼らがブラーフマナの生まれであるという事で持っている種族に対するプライドから離れさせて、如来の家系に生ぜしめるために、このジャンブ州のマラダ国のクティという集落のブラーフマナの家に生まれてきたのです。

(中略)
 
 さて、しかしながら良家の子よ、もう一度行け。すばらしき友であるマンジュシュリーのところへ行って問いなさい。
『菩薩はどのようにして菩薩としての行を学び、どのようにしてサマンタバドラの行に入り、どのようにそれを成就し、広大にし、随順し、円満しなければならないのでしょうか』と。
 良家の子よ、あの方はきっとあなたにそれを教えてくださるでしょう。

 良家の子よ、マンジュシュリー童子はあなたのすばらしき友なのです。あなたを如来の家に生まれさせ、すべての善根を成長させ、悟りを成就するためのすべての資糧を発起させ、真のすばらしき友に会うことを得させ、あなたを勧めてあらゆる功徳を修めるように励まし、すべての願いの網に入らしめ、すべての大願が成就するように為さしめ、すべての菩薩の秘奥の教えを説いて聞かせ、人間の思量・はからいを超えた菩薩としての行を教えしめして下さるお方なのです。
 しかも、そのすばらしき友であるマンジュシュリーは、前世においてあなたと共に住んでいたとき、あなたと一緒に修行していたお方なのです。
 そういうわけであるから、良家の子よ、あなたはまさにマンジュシュリーのところへ行って教えを求め、怠ることがあってはなりません。投げやりの心を起こしてはなりません。マンジュシュリーはきっとあなたに、あらゆる徳の備わった教えを説いてくださるでしょう。
 なぜかといえば、良家の子よ、あなたが今までに巡り会ったところのすばらしき友、聞いたところの菩薩行、悟りえたところの解脱の法門、満足したところの優れた願いは、みなこれマンジュシュリーの威神力によるところであるからです。マンジュシュリーは、そういう事柄をすべて極めつくしておられる尊いお方なのです。」

 そしてスダナ童子は、マイトレーヤの両足を頂礼し、幾たびとなく右回りの礼をし、何度も何度もその顔を仰ぎ見てから、マイトレーヤのもとを去っていった。

 さて、スダナ童子は、マイトレーヤ菩薩に教えられたとおりに百十の都城を経めぐって、普門国のソマナ城にいたり、その門の辺りに立ってマンジュシュリーのことを考え、あたりを見渡しながら、何とかして会いたいものだと捜し求めていた。するとマンジュシュリーは、百十ヨージャナのはるか彼方から右手を伸ばして、ソマナ城にいるスダナの頭に手を置いて言った。

「まことにそなたは見上げた人である。良家の子よ、もし信根を捨て、気力がなく、心が萎縮し、努力修行しようとはせず、ただ一つの善根を積むことだけを目当てとし、少しばかりの善根に満足し、菩薩としての行と願を発こすことに熟達せず、すばらしき友に守られず、仏陀に見放されたような者には、今、そなたが求めているようなこの大乗の法・道理・法門・所在・境界を知ることはできない。あるいは、その底を極め、それを悟り、信解し、分別し、証智し、獲得することはできない。」

 さてマンジュシュリーは、このような教えを説いて心を喜ばせてから、スダナ童子をして、無数の法門を成就し、無量の大いなる叡智の光明を得させ、菩薩の限りないダラニ・願・サマーディ・神通・叡智を得させ、サマンタバドラの行に入らせ、そしてマンジュシュリー自らの所在である智慧の境地にスダナを住まわせてから、マンジュシュリーはスダナのところから立ち去り、消えうせてしまった。

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