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パドマサンバヴァの秘密の教え(46)「十一の印」


◎十一の印

 師パドマはこう仰った。

「ダルマが心に刻まれたら、十一の印があるだろう。」

 ツォギャルは尋ねた。

「その十一の印とは何なのでしょうか?」

 師はこうお説きになった。

「一.現世的な物事や出来事などに惹かれることが少なくなったら、俗世のリアリティに固着する魔を追い払ったという印である。

 二.執着が少なくなってきた時、それは野心的な欲求が無くなった印である。

 三.煩わしい感情が減少したとき、それは内側から五毒が制圧されたという印である。

 四.利己的な考えが減少したとき、それはエゴに固着している魔を追い払ったという印である。

 五.困惑することがなくなり、評価することがなくなれば、それはあなたの惑いの認識が崩壊したという印である。

 六.瞑想者と瞑想対象という概念がなくなり、あなたの本質を見失うことがなければ、それは、母なるダルマターに出会ったという印である。

 七.偏見のない個人的な経験としての観照が生起したとき、それは見解と瞑想の核心に到達したという印である。

 八.輪廻とニルヴァーナを分けることのできないものとして理解したとき、それは完全な悟りが生起したという印である。

 九.あなたがあなたの身体にさえ執着を持たないとき、それは執着が完全になくなったという印である。

 十.あなたが苦しみや困難に害されなくなったとき、それは、現象が幻であると理解した印である。

 十一.あなたが、得ることと失うこと、快楽と苦しみ、称賛と非難、心地よい言葉と嫌な言葉などにほんの少ししか注意が向かないならば、それは心の本質を認識したという印である。

 いずれにせよ、これらの内側の印が外側に現れはじめたなら、それは若芽を出した木の様なものである。
 外側に現れた印が他人に気づかれるほどになったなら、それは熟して食べられる木の実の様である。

 まったく有徳な資質を持たずにダルマの修行をしている人が大勢いる。本当に真理を認識している人は極端に稀である。故に、瞑想の修習に努力することが必須なのだ。」

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