パドマサンバヴァの秘密の教え(121)「住居と仲間において外れること」
☆住居と仲間において外れること
二番目に、住居と仲間において外れることの教えについて。瞑想者は正しい特性を備えた場所で修行するべきである。
もしあなたが、邪魔が多い寺院や、心を乱すような感情を増すような場所に滞在すれば、道徳的な穢れや、愛著と嫌悪という感情に圧倒される因となる。
不健全な友人との付き合いは、瞑想の習熟を阻み、まるで自分で毒を買うようなものである。
ツォギャルよ、もしあなたが正しい方法でダルマを修習したいなら、不健全な場所や仲間やその他の事から自分を切り離すことが最も肝要である。
よって、それらを放棄しなさい!
☆間違った瞑想へ外れること
三つ目は、間違った瞑想へ外れるということについて。
瞑想の境地を維持しようとする時、あなたは無気力になったり、動揺したり、注意散漫になったりするであろう。
無気力に関しては、六つの種類がある。場所によるもの、仲間によるもの、時間によるもの、食べ物によるもの、姿勢によるもの、瞑想によるものである。
最初に、場所が原因で起こる無気力さは、低地の森や渓谷あるいは道徳的にけがれている村で瞑想することで起こる。
あなたは精神的にはっきりせず、ビンドゥはぼんやりして、認識は曇り、あなたは大変眠たく、身体は重い。
これらの場合は、浄化の儀式と懺悔を行い、視界が開けた高いところへ行きなさい。晴れ渡った、雲のない場所で瞑想し、新鮮な空気を取り入れるために窓を開けて、雪山の頂上で新鮮なそよ風に吹かれていると想像しなさい。
これらの方法が、場所が原因で起こる無気力さを一掃するだろう。
二番目に、仲間が原因で起こる無気力さは、道徳的に汚れた人たち、あるいは性的に乱れた性格の仲間と過ごすことで、あなた自身がけがれる。
これらの場合には、懺悔を行い、浄化に努めなさい。
サマヤ戒を破ったり道徳的にけがれている人たちに気をつけなさい。
正しい資質を有する仲間を探しなさい。彼らを励ましなさい。そして邪淫を許してはならない。
それによって、仲間が理由で起こる無気力さは解消されるだろう。
三番目に、時間が原因で起こる無気力さは、春や夏などの、ぼんやりとした、うとうとした感情が関わっている。
時間が原因で起こる無気力さは、雪山やそれに似た所へ出向くことで一掃される。
四つ目に、食品と衣服が原因で起こる無気力さは、他人の食べ物や、(カルマ的に)けがれた衣服が関わっている。
瞑想をしている時は、人の食べ物や、けがれた衣服を避けるべきである。
それによって、食品と衣服が原因で起こる無気力さは一掃されるだろう。
五つ目に、姿勢に起因するものは、初心者が、寝転んだり、それらしい姿勢を取ることで、うとうとすることである。
瞑想の修習を行う時は、ヴァジュラーサナ(蓮華座)の姿勢を取り、心を鼓舞し、感覚を高め、鮮明な明瞭さを持って瞑想しなさい。
それによって、姿勢が原因の無気力さは一掃されるだろう。
六番目に、瞑想による無気力は、落ち込んだ気分で瞑想を行うことで完全に不明瞭で無気力になることから生じる。
目を空に向けてバランスを取り、熱心に目覚めているように努め、認識を鋭敏に保ちなさい。
それが、瞑想による無気力さを一掃する。
教えの道における漸修の段階の教本は、無気力さと動揺は、認識を駆動させ損ねるという過失の原因であると教えている。
ツォギャルよ、瞑想の障害は、あなたが勤勉でなければ除去することはできない!
次に、動揺については二種類ある。場所による動揺と、状況による動揺である。
場所による動揺は、広々とした高台で瞑想すると、あなたの認識は高まるが、場合によってはあなたの注意は不安定になり、あなたの思考は動揺し散漫になる。
また、あなたが何であれ注意を引くものに気を取られるならば、あなたは心を乱す感情の犠牲者になってしまう。
これらに対処するには、あなたの凝視点を地平線に定める。
もしそれでもあなたの気が静まらないなら、下向きの凝視を用いて、時折あなたの注意を一つの対象に向ける。
夜は、あなたの心を心臓のア字に集中しながら眠りにつきなさい。
ある雑念が突然生じたときは、それを認識して、「パット!」と唱えて消し去りなさい。そしてその後、完全にくつろいであるがままでいなさい。
または代わりに、その雑念を追跡して、それが見つからないという境地で休みなさい。
これらが、場所による動揺を取り除いてくれるだろう。
状況が原因の動揺は、何らかの外的な出来事のためにあなたが思考を追い、あなたの心が心を乱す感情によって動揺し散漫になる状態である。
それが起こったときは、「何もする必要はない」という態度を保ちなさい!
慈愛と慈悲、迷妄を打ち砕くこと、方法と智慧と献身を修習しなさい。
それに従うことで、見解におけるときと同じように、修習の目的を貫きなさい。
それが、状況による動揺を取り除いてくれるであろう。
次に、注意散漫の過ちには二つある。
理解の欠如による注意散漫と、状況による注意散漫である。
理解の欠如による注意散漫とは、あなたがどんなに瞑想しても進歩が見られない場合のことである。
これは、修習をどのような期間で区切るかを知らないが故である。
あなたが教えや師に敵対しているか、理論と経験をどう区別するかが分かっていないために、あなたは愚かな瞑想者となっている。
これに対処するには、あなたの師に助けを請いなさい。口頭による教えの理解を確実なものにし、正しい修習を正しい期間で区切り、それを何度も何度も繰り返す。
日常的活動に巻き込まれず、率直で自由に瞑想する。
意識がはっきりしている時は、思考の拡散を無視して瞑想を続けなさい。
それによって、注意散漫を切り抜けて、経験を増加させることができるだろう。
二つ目に、状況が原因の注意散漫は、ある外的な出来事によってあなたが五毒や六つの煩悩に陥ってしまい、気が散って注意深さを失うことによって生じる。
これに対処するには、直ちに改善策を講じることである。知覚された固着を粉砕し、それを魔的な幻想だと見る。
ツォギャルよ、このようにして誤った状態に外れてしまうことを切り抜けたいなら、心を乱す感情という豚の鼻を打ちのめしなさい。