パドマサンバヴァの秘密の教え(112)「脇にそれることや過ちの制約を断ち切る」
王は師に次のように問うた。
「『脇にそれることや過ちの制約を断ち切る』とは何でしょうか?」
師は次のようにお答えになった。
「王よ、希望や恐怖を持つということは、見解を理解していないという過ちによるものである。
覚醒した菩提心は、悟りを得ることを望むこともなければ、衆生の状態へと落ちることに恐怖することもない。
瞑想者と瞑想する対象という概念を持つということは、二元性を持つ心の投影を断ち切ることをしなかった過ちによるものである。
あなたのダルマターの生来の本質は、心象から自由で、如何なる瞑想する対象、瞑想する誰か、または養われなければならないどんな瞑想状態もない。
受容または拒絶することは、愛着と執着を断ち切ることをしていないという過失によるものである。元来の心の自由で空な本質には、あなたが執着することのできる、成し遂げなければならない何かもなければ、あなたが敵意を抱くことができるような、拒絶しなくてはならない何かもないのである。それには受け入れなくてはならない善もなければ、拒絶しなくてはならない悪もないのである。
所有物に愛着を抱くことは、修行する術を理解していないという過ちによるものである。如何なることにおいても、修行とは愛着と執着から自由であることで、そして愛着と執着は根拠や本質を欠いていることを理解することである。
これらすべてを一言に集約するならば、
見解とは確信から自由であることであり、
瞑想とは心を何の対象にも置かないことであり、
経験とはそれに溺れることから自由であることであり、
そして成就とは、到達という概念を超越している。
過去・現在・未来の仏陀は、これ以外のことはこれまで教えてこなかったし、今も教えていないし、これからも教えることはない。
それが『脇にそれることや過ちの制約を断ち切る』と呼ばれるものである。」