パトゥル・リンポチェの生涯と教え(2)
◎幼児のパトゥル
パトゥルが生まれた日、一家のテントが白い光で包まれたと、彼の母親は伝えている。
その赤子は、生まれるとすぐに話し始めたのだった。まずは、短い言葉を一言だけ話した。
「ア、オ・・・オーム」
次の日の夜には、慈悲の悟りの相を表わすアヴァローキテーシュワラ(観自在菩薩)の六音節のマントラである「オーム・マニ・パドメー・フーム」をぶつぶつと唱えているのが聞かれた。マントラの音は日に日にはっきりと聞こえるようになり、五日目にはすっかり鮮明に聞き取れるようになったのである。彼の手首には、マニ・マントラの六音節の文字があり、舌には、智慧の悟りの相を表わすマンジュシュリーの種字である赤い「dhi」の文字があった。
彼の母親は、これらすべての兆候に気づいていたが、それらを自分の内に留め、夫にも話さなかった。彼女は、人々にからかわれたり、「おお、良家の出の母親の息子は、決まってトゥルクと認定されるものだ!」と嫌味を言われたりするのが嫌だったのだ。息子が本当に高僧の生まれ変わりであったら、早いうちにトゥルクだと認められてしまうことで、彼に障礙が生じてしまう、ということを避けたかった。
しかしすぐに、この幼子の並外れた性質は、皆に知られるようになった。彼は、ロンチェン・ニンティクの教え「偉大なる広がりの心の本質」の偉大なる師であるドラ・ジグメ・カルサンによって、トゥルクと認定された。ドラ・ジグメは、彼の師であるドゥドゥプチェン一世ジグメ・ティンレイ・オーセルにこのことを報告した。
それを認め、ジグメ・ティンレイ・オーセルはこう言った。
「その子をパルゲ・ラマのトゥルクと認めたお前は正しい。彼はオルギェン・ジグメ・チョーキ・ワンポ(オルギェンから来たダルマの恐れなき主)として知られることになるだろう。私は祈りによって、この子を完全なるロンチェン・ニンティクの系統に委託する。」
その後すぐに、有力な僧やラマたちの一団が、新たにトゥルクとして認定されたパトゥルに敬意を表するために、年輩僧のウムゼに引き連れられてパトゥルの両親の家にやって来た。彼らが中に入ると、ちょうどパトゥルの母親は、乳を飲ますために幼児のパトゥルを胸に抱いているところであった。しかしパトゥルは乳を飲まずに、母親から顔を背けると、年配僧の方を向いてこう言った。
「叔父さん、元気だった? そんなに歳をとっちゃって!」
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