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あふれるような信仰心のゆえに

「シュリー・チャイタニヤはあるとき、ある場所を通りかかって、この村の人々は、主の御名が歌われるときにならされる太鼓を造り、それを売って生計を立てていると聞かされた。それを聞くやいなや、彼は叫んだ、
『ああ、太鼓はこの土で作られているのだ!』
と。そして、そう言いながら直ちに恍惚状態に入り、通常の意識を失ってしまった。次のような連想をしたからである――この土から太鼓は作られている、太鼓はハリの御名を唱えるときに鳴らされる、そのハリはすべての生命の中の生命、最も美しいものよりも美しい。このような思いが一時に心をよぎり、心は完全にハリに集中されたのだ。
 自分のグルに対してこのような信仰を持っている者は、連想によって、グルの身内の人々に会ったときばかりでなく、彼の生まれた村の普通の人々に会ったときも彼のことを思い出さずにはいられない。そして、グルへの尊敬から、その村人に敬意を表し、彼の足のチリを取り、彼に食物を供養し、あらゆる方法で彼に仕えるのだ。
 この境地に達すると、人は自分のグルの中にはいかなる欠点をも認めない。つまり、
『私のグルはニティヤーナンダ(永遠の至福そのものである主なる神)である。たとえ年中、酒場に通っていたとしても』
という格言が、この場合に当てはまるのだ。
 黄疸にかかった人の眼にはすべてのものが黄色に見えるのと同じように、彼は、主へのあふれるような信仰心のゆえに、グルの中に人ではなく神を見る。そうすると、彼の信仰が、全宇宙になられたのは神であるということを彼に示すのである。グルに、父に、母に、人に、家畜に――生あるもの生なきもの一切のものになっておられるのは『彼』のみなのである。」

 ――ラーマクリシュナ・パラマハンサ

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