バクティの精髄(29)
◎プージャー
プージャーとは主への礼拝である。
これは、九つのバクティのムードの一つである。
また、これはアルチャナとも呼ばれる。
主は、ニルグナ(無形の相)、あるいはサグナ(有形の相)で礼拝される。
さらに、この礼拝は普通は形式的な道具を使って行なわれ、上級のバクタとなると心の中だけで礼拝を行なう。
バクタは、イシュタ・デーヴァター(理想神)に対してプージャーを行なう。
プージャーには、ヴェーダ的なもの、タントラ的なもの、あるいは信仰者に合わせてそれらを混同したものがある。
人は自分の好みに応じてどんなメソッドを選んでもよい。
朝、沐浴をしなさい。
毎日、サンディヤー(朝夕の祈り)を行ないなさい。
神の像があるならばそれは良いことだが、もしなかったとしても、床を清め、そこにマンダラを描けば、その床そのものを礼拝することができる。
可能ならば、花、お香、サンダルの粉、アーラティ(灯明)、樟脳、新鮮な水、ボーガ(神に捧げるための食べ物)、座るためのきれいな座、小さなベル、法螺貝、シンバルを用意しなさい。
バーヴァ状態で、信仰心を抱きながら、主に祈りを捧げなさい。
主の108の御名あるいは主のムーラマントラを108回唱えながら、花あるいはクムクムと共に水に浸した米(アクシャタ)を主に捧げなさい。
新鮮な水、あるいはミルク、あるいはギー、あるいは蜂蜜、あるいは簡易なパンチャームリタをそそぎなさい。
意識を引きあげてくれるようなストートラ(詞章)、あるいはバーガヴァタやラーマーヤナなど、バガヴァーンの栄光やリーラーに関する聖典の一部を読みなさい。
可能ならば、サハスラナーマ(神の千の御名)を唱えなさい。
アルギャ、パディヤ、ネーラジャナなどを捧げなさい。
心の中では、常に主のお姿を想いなさい。
何かを取りに行くために、プージャーの最中に立ち上がってはいけない。
事前にすべてを用意しておきなさい。
神聖なる感情を燃えたたせるために、できるだけ多く、マントラ、ストートラ、祈りを唱えるべきである。
あなたは、新しい衣、花輪で主を飾りなさい。
装飾、花、サンダルの粉などで、主を礼拝しなさい。
これらを強烈な愛と信仰をもって為しなさい。
供物として、お菓子、調理した米、ちょうどそのときに捧げられるものを主に捧げなさい。
ギー、ミルクなどで特別に調理された食べ物、そしてカード、野菜、バターで調理された食べ物は、非常におすすめである。
神像はオイルで磨いて、きれいにし、装飾で飾り、世界で最も愛する人、大切な人に対してなされるのような非常に愛のこもった待遇がなされるべきである。
特別な日には、可能ならばボーガ(供物)用の皿を各種用意し、神聖なバーヴァを伴った音楽、歌、踊りを用意しなさい。
マハープージャーを行ないなさい。
アーラティを捧げ、樟脳を焚き、ギーの灯明などを灯しなさい。
主の栄光と主の御名を歌いなさい。
祈りを捧げ、主に自己を明け渡しなさい。
聖典に記された主のリーラーの物語を聞きなさい。
そして言いなさい。
「おお、主よ! わたしに慈悲をお垂れください。わたしに恵み深くあってください。」
自分の頭を主の御足につけ、祈りなさい。
「おお、主よ! 死というサメが群がるサンサーラという海からわたしをお守りください。わたしはとても恐れています。わたしはあなたにのもとに避難いたします。」
他者にプラサードを提供しなさい。
可能ならば、毎日貧しい人々に食べ物をあげなさい。
彼らに供物をあげなさい。
彼らに衣服をあげなさい。
貧しい人々を主として礼拝しなさい。
ニミッタ・バーヴァ(主の御手の中のただの道具としてすべてを為すバーヴァ)ですべてを為しなさい。あなたが行なう礼拝の背後に、決して利己的な欲望を持ってはならない。
「マハーシカ・プージャー」
マハーシカ・プージャーは、形式的な道具を使わずに行なう主の礼拝である。
プージャーに必要な道具をすべて心の中に観想し、実際の形式的なプージャーのように、主にそれらを捧げていると思いなさい。
これは形式的な礼拝よりもより強力である。
なぜならば、バーヒャ・プージャー(形式的な礼拝)よりも、マハーシカ・プージャー(心で行なう礼拝)のほうがより強く集中するからである。
あなたが実際に形式的に礼拝で行なうことをすべて、心の中で行ないなさい。
主をあなたのハートの中の王座に座らせなさい。
心の中でプージャーを行ない、アーラティ、アルギャなどを行ないなさい。
ショーダソーパチャラ・プージャー(十六から成るプージャー)を心の中で行ないなさい。
これは、実際に手でプージャーを行なう際の感情だけを感じるものである。
感情は、行為よりもより効果的である。
「パラー・プージャー」
パラー・プージャーは、最高の礼拝である。
これは、ジュニャーニの礼拝である。
これは、真我の悟りの結果、生じるものである。
バクタは、ただただ神だけを経験することしかできなくなる。
彼はこう言う。
「ああ、主よ! 一切に遍在し、実在そのものであるあなたを、どうして礼拝できましょうか? あなたがわたしそのものであるというのに、どうしてわたしがあなたに祈りを捧げられましょうか? あなたが永遠に純粋であるというのに、どうしてあなたにアルギャやパディヤを捧げられましょうか? あなたがアプタ・カーマ(すべての望みを叶えた者)であるというのに、どうしてあなたに何かを捧げられましょうか? 太陽に向かって灯明を振るのでしょうか? 水の入ったコップを持って海を沐浴させるのでしょうか? あなたは自ら満ち足りているというのに、どうしてあなたにお供物を捧げられましょうか?」
そして、このようにしてバクタは神の無限の本性を感じる。
パラー・プージャーとはこのように、智慧と至福に満ちた神の無限の永遠なる本性のことを考えながら、神に形式的礼拝を捧げるということが不可能であることを例証することである。
パラー・バクティとパラー・プージャーは、同一のステージに属している。
このステージにおいて、バクタは神と一つとなり、自分の個性を失うのである。