ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(4)
そうしてド・キェンツェーの両親は、非宗教的な親戚たちの意見に構うことなく、自分の息子をドドゥプチェンの住むシュクチェン・タゴ・ゴンパ《Shukchen Tago Gompa》(シュクチェン・タゴ寺院)に連れて行きました。ド・キェンツェーは多種多様な者たちや神秘の中に様々な姿をしたドドゥプチェンを目にし続け、そして後年彼が理解したのは、それらが通常の知覚ではないということだけでした。後に、ド・キェンツェー、その妹、ならびに両親は、ドドゥプチェンと連れ立って、ゾクチェン僧院とデゲ宮殿への旅に出ました。
彼の妹のダーキニー・ロサル・ドルマ(1802-1861年)は、人の姿をしたターラー女神で、偉大なる成就者でした。子供の頃から死を迎えるまで、彼女はその近しい弟子、友人、ならびに導き手としてド・キェンツェーに身を尽しました。
彼がゾクチェン僧院の近くに留まっているあいだ、ある友人が彼に「こう行けばラサに行けるよ」と言いました。その言葉を聞いたとたん、彼の胸には大きな悲しみが湧き上がり、そしてツェリン・ジョンとチンプーの記憶が彼の心に甦ってきたのでした。その夜、彼はサムイェー・チンプーの守護者の夢を見ました。その男は白い馬に乗って現れ、彼に中央チベットに戻り、妻や息子、そして弟子たちとともに僧院にとどまるよう頼みました。
ドドゥプチェンに加え、シェンペン・ラプジェム三世、カトク・シトゥ一世、ならびに約百人もの人びとから、彼は経典の伝授やニンティク・ヤプシ、ゾドゥン、ロンチェン・ニンティクのイニシエーション、ならびにジグメ・リンパの書物を受け取りました。
ドドゥプチェンは彼をジグメ・リンパの転生者と知っていましたが、そのことを秘密にしており、したがって、中央チベットから、つまりジグメ・リンパの隠遁所と家族の者から正式に承認を得る必要がありました。
その後、ド・キェンツェーがジグメ・リンパのトゥルクであることが、サキャ・コンマ・ワンドゥド・ニンポとディクンのトゥルクたちによって承認され、後に、その知らせを持ってきた者たちが彼をディクンへと連れて行きました。
サキャ・コンマはジグメ・リンパの弟子の一人で、ディクンの二つの代表はジグメ・リンパの息子たちと彼の主要な弟子であるコン・ニョンでした。ドドゥプチェン、そしてデゲの女王の摂政と王子、それから、カトク、ゾクチェン、シェチェン、ならびディクンの代表者たちを前にして、ド・キェンツェーはジグメ・リンパが生前に使っていた物を見分ける公式の試験に合格しました。その場にいた者たちはみな喜びと献身的愛情に包まれました。そのあと、デゲのラルン・ククにおいて、認定式がデゲ宮殿とその僧侶たちの後援のもと仰々しく行われました。