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ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(2)

 彼の両親がラサを巡礼していたとき、マチク・ぺーラ寺院で二人の女性が壁を通して彼の母を導き、そして彼女にはその壁が扉のように見え、そのまま豪華で美しい宮殿へと入りました。彼女は宮殿の若く高貴な男性との交わりを経験したのち、先ほどの女性たちに連れ戻されて、気づくと、もといた寺院に居たのでした。そのあいだ三日間にわたって彼女の夫や他の者たちは彼女を捜索していたのでした。その若い男性はニェチェン・タンラ(チベットのタンラ地域に住む神)で、チベットの最も重要な土地の守護神の一人でした。

 まもなく、ド・キェンツェーの母には霊的な目覚めが起こり、家族の者たちは、光、ヴィジョン、声、ならびにメッセージといった現象を絶え間なく経験しました。ド・キェンツェーの両親や友人は、喜びと同時に怖れと困惑も感じていました。彼らはブッダの誕生という祝福を期待しつつも、害をもたらす魔的な力に襲われることを恐れていました。

 ド・キェンツェーは、マチュウ河(黄河)の流れる広大で美しい平原、マ谷のコンセル・ケードにてラプジュン十三世の鉄の猿の年(1800年)の10月15日に生まれました。彼の養父ソナム・ペンは、ゴロク・アキョン《Golok Akyong》族のチョーコル《Chokor》部族の者で、彼の母ツェンワン・メンは、ダワ族の者でした。

 それは満月の早朝のことでした。生まれて間もないド・キェンツェーは、瞑想の姿勢で座り、テントに差し込んだ太陽の光に触れながら、サンスクリット語を唱えたのでした。

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