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トゥリヤーナンダ(1)

◎師との出会い

 トゥリヤーナンダは俗名をハリナート・チャットパーディヤーヤといい、1863年1月3日、北カルカッタのブラーフミンの家に生まれました。幼児期に両親を失い、兄に育てられました。
 ハリナートは現世的なことには興味がなかったため、一般の学業には全く興味がありませんでした。彼はごく若い頃から、一日に三度沐浴し、食事は自分で料理したものを食べ、日の出前にバガヴァッド・ギーターを全部朗唱するという、正当派ブラフマチャーリのような生活をしていました。
 そして彼は、バガヴァッド・ギーター、ウパニシャッド、ラーマ・ギーター、そしてシャンカラーチャーリヤの著作を深く研究していました。アドヴァイタ(不二一元論)・ヴェーダーンタに心惹かれ、その理想に従って生きようと真剣に努力していました。
 あるとき、ガンガーで沐浴していると、ワニが現れました。ハリナートは最初、水から出て逃げようとしましたが、すぐに、
「私がブラフマンと一つであるなら、何を恐れることがあろう。私は肉体ではなく真我である。」
と思い、逃げるのをやめました。

 この頃のことを振り返り、後にトゥリヤーナンダはこう述懐しています。

「私は、人間として生まれた者のなすべきことをやってきた。私が目指したのは、自分の人生を純粋なものにすることだった。私は一日に八時間から九時間を、読書に費やしたものだ。多数のプラーナ聖典とヴェーダーンタの哲学書を読破し、最後に私の心はヴェーダーンタに落ち着いた。初めて『人生の目的は、ジーヴァンムクティ(今生での解脱)を実現することである』という一節を読んだとき、私は歓喜で胸が高鳴った。なぜなら、それこそが私の人生の目的だったからだ。」

 ハリナートが13、4歳頃のとき、近くの家にパラマハンサ(最高の聖者に与えられる称号)がおいでになるということを耳にしました。好奇心から、彼はそのパラマハンサを見に行きました。
 やせ細った一人の聖者が、侍者に支えられながら馬車から降り、その家に入ってきました。聖者は、外界のことには全く気づいていないように見えました。ハリナートがじっとその聖者を見ると、その顔に後光がさしているのが見えました。そのときハリナートの頭に、「聖典にシュカデーヴァのことが出ていたが、それはこのお方のような方なのだろうか」という思いが浮かびました。
 この聖者こそ、ラーマクリシュナ・パラマハンサだったのでした。
 ラーマクリシュナは部屋に入ってくると少し外界の意識を取り戻し、クリシュナとカーリーが一つであることを歌う歌を歌い、聴衆は感動に震えました。

 その2、3年後から、ハリナートは自らドッキネショルにラーマクリシュナを訪ねていくようになりました。まもなく彼はラーマクリシュナを熱烈に慕うようになり、できる限り頻繁に訪ねるようになりました。
 
 あるときハリナートはラーマクリシュナに、
「ドッキネショルにいる間は大きな霊感を感じるのに、カルカッタにいると悲しくなる。」
と言いました。それに対してラーマクリシュナは、
「おまえは主の召使いなのだよ。主の召使いは、どこにいたって不幸せなはずはない。」
と言いました。
「でも、私は自分が主の召使いだということを知りません。」 
とハリナートが言うと、ラーマクリシュナは言いました。
「真実は、人がそれを知っているか知らないかによって決まるものではない。おまえがそれを知っていようといまいと、おまえは主の召使いなのだよ。」

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