スワミ・プレーマーナンダ「貧者、動物、鳥たちへのやさしさ」(2)
サティヤーナンダはこう言っている。
「ニディアという名のオリッサ出身の召使いがいた。彼は牛の世話をしていた。ある日、彼は乳搾りのあとに2シアほどの牛乳を盗み、残りのミルクを2シアの水で希釈し、窃盗を隠した。ウマーナンダはこれを見て、彼を靴で打った。彼はそれからそのことをバブラーム・マハラージに報告し、すぐにニディアを解雇するように彼に要求した。バブラーム・マハラージはこう返答なさった。
『わたしは君が彼を靴で打ったと聞いた。その処罰でもう十分ではないのか? 彼はかなりの年数マトで働いてきた。もし彼を今解雇したなら、彼の家族と子供達は飢えで死んでしまうかもしれない。君はそれを一度でもよく考えたことがあるか? その上、もし彼が解雇されたなら、誰ももうここに働きに来なくなるだろう。ニディアをここへ呼んできなさい。』
ニディアはやってきて、自分の過ちを認め、バブラーム・マハラージの御足のもとに倒れるようにして泣き始めた。バブラーム・マハラージは仰った。
『今日のことは許すよ。二度とするんじゃないよ。』」
サティヤーナンダはまたこう言った。
「バブラーム・マハラージはフトコー・ゴーパールの兄とラージャニー・バーブとという名前のバリ出身の紳士がマトに滞在する許可をお与えなさった。フトコー・ゴーパールが病気になり、療養のためにデーオーガルに行っていたとき、そこから彼はマハープルシャ・マハラージに手紙を書いた。
『バローダ(兄)とラージャニー・バーブがマトに泊まれるように手配したのはわたしです。わたしは彼らのたくさんの悪事を大目に見てきましたが、あなたが望むなら、彼らにそこを出ていくように言っていただいても差し支えありません。』
一度ならず何度も、この二人の者をマトから追い出すよう提案が出された。ついにはラージャ・マハラージ(ブラフマーナンダ)ご自身が、彼らの内の一人が去るべきだと主張なさった。
しかし、バブラーム・マハラージはこう仰った。
『わたしは彼らに避難所を与えた。今、どうして彼らに去るように要求できるだろうか? それならばわたしが去った方がいい。』
かつてデーオーガルである理髪師がやって来て、すべてのものを失ったと言った。バブラーム・マハラージはその男性に1ルピーをおやりになり、マハラージの従者がいなくなると、また彼に自分の新しいタオルを手渡しなさった。マハラージが沐浴するとき、彼の従者はタオルを探したが、どこにも見つけることができなかった。これをごらんになって、バブラーム・マハラージは、『サードゥにタオルは必要ない』――つまり、タオルがなくても沐浴できる――と仰った。
バブラーム・マハラージがデーオーガルにいらっしゃったとき、ラーマクリシュナ・ボース(バララーム・ボースの息子)はよく彼の世話をし、彼に奉仕をした人物であった。バブラーム・マハラージと従者たちのために、ラーム・バーブ(ラーマクリシュナ・ボース)はフルーツとお菓子を注文し、コルカタから郵送した。この費用は一週間に百ルピーよりも多かった。
ある日、ラーム・バーブが従者の一人であるサティシュに、これらの郵送物の費用を声に出して読んでいたとき、バブラーム・マハラージは偶然それを耳にされ、それほどのお金が自分のために費やされていたことに驚き、それらの果物とお菓子を受け取り続けることに強い抵抗を表現された。
ラーム・バーブは彼の御足にしがみつき、泣き始めた。彼は何がマハラージを喜ばせるか教えてくれるように懇願した。バブラーム・マハラージはお答えになった。
『わたしはここで貧しい人々の状態を見て大変困惑している。いつか彼らに美味しいポーハ(平らにして乾燥された米)とカードを食べさせて、彼らのそれぞれに新しい衣服の贈り物をする。』
その後、実際にラーム・バーブは存分に彼らに供給し、彼らすべてに新しい衣服を与えた。
かつてモトゥル・バーブの助けを借りて、タクル(ラーマクリシュナ)自身が貧しい人々のお姿を取られたナーラーヤナへお仕えなさったのも、このデーオーガルにおいてであった。
プラーナの中で、しばしばヴラジャの牛スラビの子孫は非常に大事されていると述べられる。タクルの二人のニティヤシッダ(永遠に自由な魂)――ラカールとバブラーム――は、前生でヴラジャの出身であった。そして二人ともその顕現である牛達の世話をすることを愛した。
ラージャ・マハラージがマトの牛達が草を食む野原の中に入って行かれると、牛達は草を食むのを忘れ、ゆっくりと歩きながら、彼の近くに来るのだった。牛達は彼の周りで半円形になり、それから彼を見上げ、その蓮華のようなお顔をじっと見つめるのだった。
しかしバブラーム・マハラージといるときは、牛達の振る舞いは違っていた。牛達は彼を見るとすぐに、まるで一番初めに可愛がられるのを競うかのように、駆けてきて飛び跳ねた。何頭かは彼の手をなめ、何頭かは足をなめ、そして他の牛達は口をなめた。西インドから来たナーガリーという牛は、いつも角で押そうとしていた。バブラーム・マハラージは、牛達みなを等しくなでて、牛達を喜ばせたのだった。」
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