スワミ・プレーマーナンダ「聖堂における奉仕」(1)
スワミ・プレーマ―ナンダ
「聖堂における奉仕」
マトの主催神はシュリー・ラーマクリシュナである。彼はすべての宗教、すべての理想を調和させる御方である。タクル(ラーマクリシュナ)がもはや彼の肉体に現われられなくなった後、まさに奉仕の化身であられたシャシ・マハラジ(スワミ・ラーマクリシュナーナンダ)は、ラーマクリシュナへの礼拝と彼の奉仕の実践に断固としてしがみついた。そのようにして、彼はジャガット・グル(宇宙の教師)を、中心にしっかりと保ち続けた。ラーマクリシュナ僧団が成長し繁栄することができた理由は、これなのである。スワミジはそれと全く同じ理由――タクルの礼拝所の維持とタクルへの奉仕を存続させるために、兄弟弟子たちをマトの理事になさった。
シャシ・マハラジは正統的なサーダカ(霊性の修行を実践する者)の家系の出身であった。彼によって書かれたプージャーの手順の本には、多様な儀式の詳細な指示が書いてある。一方でバブラム・マハラジ(スワミ・プレーマーナンダ)はヴァイシュナヴァの家系の出身であり、彼にとってはプージャーと他の儀式を行なうことに込み入った詳細はなく、むしろ信者のハートと心の印象が何より重要であった。
バクティの道を歩んでいるサーダカは、想像の様相(バーヴァナー)を重んじる。そのようなサーダカは、彼ら自身の心を、自らのイシュタ(理想神)と異なることのない純粋な実在に集中しようと試みる。しかし彼は礼拝の座に座る前でさえ、すでに神意識に没頭しており、イシュタの蓮華の御足に自分自身を捧げる――そのような者にとって、込み入った儀式のすべての詳細を守る時間がどこにあろう? そして何が必要であろうか?
プージャーの手順についての質問への返答で、バブラム・マハラジはこう書いている。
「もしあなたがただ水と花を母なる神の御足に捧げるのに、すべての表面的な見せ掛けを完全に捨て去って、一心に心をこめるなら、彼女は快く捧げものを受け取ってくださる。人々がひたむきな献身で供養をすることを忘れるようになるにつれて、マントラその他の考えが登場する。あなたの心の内でタクルを礼拝せよ――水と同じように、花とあなたの涙を心の中で捧げなさい。タクルは花などの捧げものよりも、何よりも心に関心をお持ちになっている。」
バブラム・マハラジがタクルへの奉仕に献身するのを目撃した幸運な人々が、われわれに彼らの回想を共有してくれた。
カマレーシュワラーナンダは、こう書いている。
「毎朝、礼拝堂から降りてくると、バブラム・マハラジはマハラジ(スワミ・ブラフマーナンダ)の部屋へお入りになり、礼拝を捧げ、『プラナーム、マハラージ。プラナーム』と仰った。
マハラージは微笑みと共に、『ようこそ、バブラムダ。ようこそ』と返された。
この手短なやり取りの中に、なんと甘露のような愛の波が満ちていたことか! マハラジの許可を得た後、バブラム・マハラジはマトの日課の用事で忙しくなるのだ。彼の第一の関心事は、タクルに捧げるための食べ物を適切に準備なさることだ。
庭の植物、花、そして果物を調べた後、彼はその日のメニューをお決めになり、必要な準備をなさるのだ。幾度も、彼はわれわれが野菜を切るのに共に参加なさった。しばしば彼はわれわれに指示された。
『ごらん、わたしの息子よ。君たちは実践的でなければいけない。しっかりと注意していなさい! タクルの所有物であるありとあらゆるものとの一体感を広げなさい。そして彼の所有であるものにはどんな無駄なものもないということを、しっかりと理解しなさい。』
野菜を切った後、彼は少量の油で頭をマッサージなさり、ガンガーに沐浴にかけつけられるのだ。それから服を着替え、カマンダル(礼拝の時に使われる水を運ぶ容器)を取って、礼拝に必要とされるすべての物の準備が保たれている礼拝堂へ行かれる。二、三のマントラを声に出し、彼は始めに花を捧げられ、タクルの全身を洗浴なさり、食べ物を捧げられる。それから彼は祭壇を花で飾られ、小さな箱に入っているホーリーマザーの御足から塵を取り、礼拝なさる。次に、彼はシヴァ神を礼拝され、タクルの聖なる履物に花を捧げられ、それからスワミジ(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)とスワミ・ヨーガーナンダに花を捧げて礼拝なさる。最後に、彼はガンガーを礼拝するために出発なさる。
ガンガー・プージャーを行なうために花のプレートを運びながら階段をお降りになるとき、彼のお顔は、言葉には表現できない壮麗さを放射なさっていたものだった。」
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