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スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(7)


 U.P、メーラット ガダムクテーシュワルより

 親愛なるXへ

 昨日、あなたの手紙を受け取りました。あなたのことはシヴァーナンダから前もって聞いていましたが、あなたが世俗的なつながりをすべて断ち切ると決め、全生涯を神への礼拝に捧げるつもりだと知って、今私はうれしく思っています。
 人が神を渇仰することはすばらしく、ほんとうに大切なことですが、心の平安が得られないからといって、せっかちになったり、落胆するのはよくありません。自分自身がただ主を渇仰できるよう祝福されたのだと見なすべきです。
 主があなたを世俗的な生活から連れ去り、サーダナをしたいという気持ちを与えてくださったことは、彼の膨大な恩寵ではないのですか? 今、あなたの心が平安になろうとならなかろうと、彼に頼ってください。彼があなたに霊性の修行をさせてくださっていることだけでも十分ではないですか。主があなたに霊性の追求を続けさせてくれるよう彼に祈ってください。なぜあなたは心の平安を求めて祈ったりするのですか?

 シュリー・ラーマクリシュナは、先祖代々生まれもっての農夫の話をよくしてくださいました。先祖代々生まれもっての農夫は、日照りも雨も気にせずに大地を耕し続けます。彼には畑を耕す以外に選択肢はないのですから。同様に、神の御名を唱え続け、自分自身を祝福された者と見なしなさい。神にあなたの幸と不幸、平安と落ち着きのなさを捧げなさい。彼があなたをどのようにあつかっても満足しなさい。サーダナを続けることができるよう彼に祈りなさい。そうすれば、平安はおのずと訪れるでしょう。

 神は、代金を払えば買える市場のほうれん草や魚のようなものなのですか? サーダナに終わりがあるのですか? 
 彼に頼りながら、彼の戸口に留まりなさい。――それで十分でしょう。彼の恩寵はおのずと流れます。誰も、呼吸をコントロールしたり、他の霊性の修行だけで彼を得ることはできないでしょう。神を得た者は、神の恩寵を通じてそうなったのです。神があなたを神の戸口で待たせ続けるのならば、それは大いなる恩寵なのだと知ってください。
 霊性の修行とは、心と言葉を一致させ、誠実に神を呼ぶことを意味します。[偽善なき]心の応接間に、どんな盗人も入らせてはいけません。それで十分です。もし必要ならば、彼があなたを通じて残りのことはなされるでしょう。
 
  わたしの最高の願いとともに
                                トゥリヤーナンダ
 

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