yoga school kailas

スムーズに動く体・心・頭

 昨日の勉強会でも話した内容だが、覚書として書いておく。

 最近、おそらく様々な条件が重なって体調が悪い日が続き、またエネルギー的にも体力的にも少し弱っていた。もうすぐ仙台勉強会なのに大丈夫かと思っていたが、勉強会当日である昨日の朝、いきなり劇的にエネルギーが回復し、良い状態になった。

 この「良い状態」というのは、いってみれば生命力が強まり、かつ気道が通り、体中を歓喜に満ちた生命力が縦横無尽にスムーズに動いている状態である。

 さて、このような状態についてはわたしも何度も話したり書いたりしているが、この同じ言葉で表わされる状態にも、実際は様々なパターンがある。パターンといってもそれらが同時に発生するのも可能であり、それらすべてのパターンが同時発生すればとても素晴らしいが、一つだけ起動していても素晴らしい。

 この状態は、身体においても、心においても、頭にもおいても「スムーズ」な状態である。

 身体においてスムーズというのは、体を少し動かすだけで指先まで歓喜のエネルギーがスムーズに走る。何の詰まりもなく、身体というよりもその本質であるエネルギーの流れが融通無碍、自由自在に動いて体を動かしているような状態だ。
 歓喜のエネルギーといっても、圧倒されるような歓喜ではない。圧倒されるような歓喜が生じたときは、気絶しそうになるほどエクスタシーに包まれ、制御不能になる。しかしそうではなく、その強烈なエネルギーが制御され、練られ、スムーズに運用されている状態である。
 もしアスリートや武術家がこの状態を得るならば、素晴らしい達人になれるのではないかと思う。

 ちなみに、このスムーズに身体全体を駆け巡っている歓喜のエネルギーが増大し、飽和状態になったとき、サマーディという究極の瞑想状態に入る。これはクンダリニーヨーガによるサマーディの入り方である。

 ところで、何度か書いているが、単に気道を通したりエネルギーを充実させたりするだけなら、仏教・ヨーガ・仙道等の修行に励めばある程度達成できる可能性はあるが、そこにこのような強烈で純粋な歓喜を加えるには、徳を積むこと、慈悲の行、そしてバクティヨーガなどが不可欠だ。特に最も重要性が高いのはバクティヨーガである。

 心においてスムーズというのは――もちろんこれには実際には心の修行も不可欠だが、エネルギー的に気が通ってくるだけでも、それと連動してある程度の心のスムーズさが起きる。これはつまり、心の様々な引っかかりやとらわれがなくなり、自由な心の状態になるということだ。

 頭においてスムーズというのは、何かを考えるときの様々なこだわりやとらわれがなくなり、非常にクリアな状態で、自由な発想、深い思索ができるということだ。

 正しくヨーガや仏教(密教)の修行に励むと、悟りまで行かなくても、これらの状態があらわれてくるはずだ。この状態が完璧でなくても、その何分の一課を得ただけでも――つまり身体・心・頭が今より少しでもスムーズに動くようになっただけでも、かなり幸せであり、また人生における自由度が増すだろう。
 よってぜひバクティヨーガとともに様々なヨーガ修行に励むことによって、多くの人にこの状態を獲得してほしいと思います。

 ところで、結局このようにしてつじつま合わせのように、仙台勉強会の当日の朝にエネルギー状態は非常によくなったわけだが、新幹線で仙台に到着し、仙台駅でトイレに入ろうとしたとき、会話しながら歩いてくる三人組のおじさんとすれ違った。そしてそのおじさんの一人がわたしとすれ違いざま、「ただの道具だ」と言った(笑)。

 彼らがどういう話の文脈で「ただの道具だ」と言ったのかわからないが(笑)……何らかの職人風の人たちだったので、仕事の道具についての話だったのかもしれないが、「神のただの道具になる」というのはバクティヨーガにおける重要なキーワードの一つなので、示唆としてありがたくいただいた。神のただの道具になりきることによって、今回のように、必要なときには必要なコンディションが自然に与えられるのだろう。

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