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ジャータカ・マーラー(15)「鹿王ルル」

 ジャータカ・マーラー 第15話「鹿王ルル」

 かつて世尊がまだ菩薩だった頃、ルルという名の美しい鹿に生まれたことがありました。
 ルルは、自分の美しさを人間が見たら、とらえようと思うだろうとわかっていたので、人のあまり来ないような森林の中に住んでいました。

 ある日、ルルが森の中にいると、一人の男が流れの速い川に流されて、助けを呼んでいる声が聞こえてきました。
 そのとき菩薩ルルは、その哀れな叫び声に心打たれて、「怖がるな! 恐れるな!」という、百の生涯を通じて繰り返されてきた、恐怖・失望・落胆・疲労を取り除く言葉を語りながら、森の茂みから飛び出してきました。そしてまさに川に流されてきた男を見ると、それを貴重なる贈り物であるかのように思い、自分の命の危険も顧みずに彼を救う決心をして、その恐ろしい急流に飛び込みました。
 ルルは流される男の前に身を投げ出すと、人間の言葉で、「私にすがりつけ!」と言いました。男は必死の思いでルルにしがみつき、その背中に上りました。
 その男を背中に乗せつつも、そして川の急な流れに押し流されつつも、勇気によって中断なき努力をもって、ルルは何とか川の岸まで達しました。
 こうして男を救うことに成功したことによって、ルルは最高の喜びに満たされ、疲労も苦痛も消えてしまいました。そして自分の体の熱でその男の冷え切った体をあたためてあげました。

 さてこの男は、この鹿が示してくれた慈悲と、その鹿の美しさに心を奪われ、このように言いました。

「愛情に満ちた友人でも、親戚でも、まことにあなたがなしてくださったようなことをすることはできません。
 ゆえに、私のこの命はあなたのものです。もしあなたのためにたとえわずかでも私のこの命がお役に立てば、私にとって大きな恩恵です。
 それゆえにあなたは、何でも私に望みのことをお言いつけください。」

 すると、ルルはこう言いました。

「本来、恩を知るということは、善き人々においては驚く程のことではない。善き人々にとって、恩を知ることは、まさに生来具わった本性だから。
 しかし今や世間は堕落しているので、恩を知るという当たり前のことさえも、貴重な功徳として数え上げられる。
 それゆえに、あなたはこの恩を忘れないでください。私の願いは、私のことを誰にも知らせないでほしいということです。私のような美しい鹿がいることを知ったら、人間たちは私をとらえたいと思うでしょうから。」

 男は、「おっしゃるとおりに致します」と答えて、お辞儀をすると、自分の家に帰っていきました。

 ちょうどその頃、ある王様の妃が、多くの正夢を見るようになっていました。妃が見た夢は、すべて現実化するのでした。
 その妃がある明け方、不思議な夢を見ました。ルルという美しい鹿が、王とその集会に取り囲まれて、人間の言葉で説法していました。
 驚きに心奪われた王妃は、目が覚めると、王のもとに赴き、その夢の話を告げ、その鹿を手に入れるようにと王に頼みました。
 王妃の正夢の力を信じていた王は、その鹿の捜索を猟師たちに命じ、また都に次のようなお触れを出しました。

「黄金色に輝き、宝石のような斑点がある鹿についての情報を持って来た者には、上等の村を一つと、十人の美女を与える。」

 例の男はそのお触れを聞くと、貧乏であるがゆえに欲望が燃え上がり、しかし鹿への恩も感じつつ、その欲と恩に心を引き裂かれつつ、心揺れながらあれこれと考えました。

「私はどうしよう。
 功徳を見ようか、財産の繁栄を見ようか。
 恩を守るか、家族を守るか。
 来世のことを思うか、この世のことを思うか。
 善き人の行いに従うか、世間の人々の慣習に従うか。」
 
 そして貪欲に心を乱されたその男は、こう結論づけました。

「莫大な財産を得て、親族・友人・客人・愛する人たちを大事にしよう。そうすれば今生も楽しく、来世も楽しむことができる。」

 こうしてその男は、鹿王ルルの恩を忘れて、自分が見た鹿王のことを王に密告しました。王は喜んで、その男に道案内をさせながら、鹿王ルルが住む森へとやってきました。

 男は、森の奥に鹿王ルルの姿を見つけると、
「王様、ほら、あそこに例の立派な鹿がいます。」
と言って、腕を伸ばして鹿を指さしました。その瞬間、彼の手首から先は地に落ちました。まるで鋭利な刃物で切り落とされたように。

 鹿王ルルをその目で見た王は、その美しさに一目で心奪われ、どうしてもそれを自分のものにしたくなりました。そこで王は弓に矢をつがえて、鹿に近づいていきました。

 その物音に気づいたルルは、自分はすでに包囲されており、矢で射られようとしていることに気づきました。
 すでに逃げることは難しいと知ったルルは、人間の言葉で、王にこう語りかけました。

「大王よ、しばらくお待ちください。私を射る前に、一つだけ私の質問にお答えください。
 このように人が来るのが希な森の中に私がいることを、誰が王に知らせたのですか?」

 王は、例の男のことを指さしました。それがかつて自分が助けた男であることを知ると、ルルは言いました。

「おお、ひどいことだ。力を尽くして恩恵を与えた者に対して、そのようなお返しをするとは。これは自分自身にとっても不利益となることが、どうしてわからなかったのだろうか。」

 王は、鹿王ルルが言っている意味がわからなかったので、教えてほしいと尋ねました。そこでルルは答えました。

「王よ。私には、彼を非難する意図は全くありません。ただこの行いは非難すべきものであると考えたので、彼が再びこのような過ちを犯すことがないようにと、私はこのような厳しい言葉を述べたのです。
 一般的には、過ちを犯した人に厳しい言葉をかけることは、傷に塩を振りかけるようなもので、善いことではありません。しかし医師は、病気の治療のためならば、かわいい息子にも苦痛を与えることがあるのです。
 私はかつて、川の急流に流されてきたその男を救助したのです。しかしその男によって、今、私に命の危機がもたらされたのです。まことに、悪人と交わると善いことはないと知りなさい。」

 王は驚いて、その話の真偽をその男に尋ねました。男は青ざめつつ、深く恥じ入りながら、「本当です」とか細い声で答えました。
 そこで王は、矢を弓につがえながら、男に言いました。

「そのような恩を受けながらも仇で返すとは、おまえは人間の中でも不名誉の見本のような者である。そのような最低の人間は、生かしていてもためにならぬ。」
 
 王はこう言うと、弓を引き絞って、彼を殺そうとしました。そのとき鹿王ルルは、哀れみに心を占領されて、素早く走り寄り、王とその男の間に入ると、言いました。

「やめてください、大王よ、打たれた者をさらに打つことは、やめてください。
 貪欲なる者の詐欺行為は、彼の名声を失わせ、この世でも来世でも破滅した者となる。
 悪しき思いに心を奪われた哀れな人は、このようにして諸々の苦難に陥る。あたかも愚かな蛾が、灯火の輝きに心奪われてその身を焼いてしまうように。
 それゆえに、この男を哀れんでください。怒らないでください。そして私を捕まえて、彼の望み通りに、彼に褒美を与えてください。」

 それを聞いた王は、この鹿が加害者に対してさえ自然な慈悲心を持っていることに大いに驚いて、敬信の心を生じ、尊敬して仰ぎ見ながら、鹿王ルルに言いました。

「ようこそ、ようこそ、偉大なるお方よ。
 恐ろしい加害者であるその者にさえ、このような慈悲心を持っているあなたは、徳からしてまさに人間以上のものです。我々はただ人間の姿をしているだけです。
 この悪者はあなたに慈悲をかけられているから、また私があなたのような素晴らしいお方に出会うきっかけとなってくれたのも確かだから、彼に褒美を与えましょう。そしてあなたは、この国中を、お好きなままに行動してください。」

 そして王は鹿王ルルを立派な馬車に乗せて、大いに尊敬して都に案内し、客人としてもてなし、大臣たちと共に、歓喜し、敬い、楽しそうに仰ぎ見ながら、法を懇願しました。
 
 そこで鹿王ルルは、王とそこに集まった人々に、このように法を説きました。

「王よ、簡潔に言うならば、衆生への慈悲こそがダルマであると、私は考えます。
 ご覧なさい、王よ。
 自己に対するように親族にも他人にも慈愛があるなら、いったい誰の心が非法を愛し害をなすだろうか。
 これに反して、慈愛に欠けるならば、人はこの上ない悪化にいたる。
 それゆえに、ダルマを求める人は、素晴らしい果報を生じる慈愛の心を捨てるべきではない。善き雨が諸々の穀物を生むように、慈愛の心は諸々の功徳を生む。
 慈悲に支配された心は、他人を害しようとは思わない。その心が清浄であれば、言葉も体も決して邪悪になることはない。
 このように他人の利益を好む心は、歓喜の増大を伴った、布施・忍耐等の功徳を生じさせる。
 慈悲心ある人は寂静なるがゆえに、他の人々を不安にさせることがない。
 慈悲心ある人は世間の人々から親類のように信頼される。
 慈悲堅固なる心には、怒りの激情は生じない。
 慈悲の清涼な水のごとき心には、激怒の炎は燃えることがないから。
 要するに、慈悲こそがまさにダルマであると、賢者たちは見る。
 善き人が愛する徳で、慈悲の伴わない徳が何かあるだろうか。
 それゆえに、息子に対するように、自分自身に対するように、人々に対して大いに慈悲をおこなって、善行によって人々の心をとらえながら、王権を盛んならしめてください。」

 王は鹿王ルルのこの説法を大いに喜んで、ダルマの実践に専念する者となりました。また、国民にもダルマを実践させ、そして国の一切の動物や鳥たちに危害を加えることを禁じました。

 
 
 このように、善き人々にとっては、他人の苦しみこそが苦しみなのです。善き人々は、自分の苦しみよりも、他人の苦しみこそが我慢できないのです。

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