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シヴァ・ヨーガ・スートラ(4)「世界の展開」

【6】世界の展開

 かの至高者は、このマーヤーの世界を、自らの内側から生み出した。

 清純なブラフマンが無明と結合することによって、それはシャクティとなり、それからまず微細な虚空があらわれた。

 微細な虚空から微細な風が出現し、微細な風から微細な火、微細な火から微細な水が出現し、微細な水から微細な地が出現した。

 粗雑な虚空から粗雑な風が生まれ、粗雑な虚空と粗雑な風の結合から粗雑な火が生まれ、粗雑な虚空と風と火の結合から粗雑な水が生まれ、粗雑な虚空と風と火と水の結合から粗雑な地が生まれた。

 虚空は音をその属性とし、風は運動と接触を、火は形相を、水は味を、地は香を属性とする。

 世界の動くものと動かないもののすべては、パラムブラフマ(至高の梵)の智慧と慈愛の種子のあらわれであるプルショーッタマから生じたのだ。
 われに計らいの心がある場合にはこれら万物は存在しうるが、計らいの心のない場合には、存在するものはただ純粋な叡智からなるブラフマンだけである。

 
【7】世界の還滅

 地は砕けて水の中に溶け込み、水は火の中に溶け込む。火は風の中へ消え失せ、風は虚空の中へ消え失せる。
 大いなる空は無明の中へ消え去り、無明は至高なるブラフマンの中へ消え去る。

 「放散」と「覆い隠し」からなるマーヤーは、苦しみの形相を持ち、ラジャス・サットヴァ・タマスの3グナから成っている。

 このマーヤーはその「覆い隠し」の力によって無智の姿となり、その「放散」の本性によってこの世界の多元の形相を見せる。

 差別する言葉の使用に基づいて、事物間の区別が生じた。ただそれだけのことである。

 このように、事物というものは存在しない。至高のブラフマンだけが実在するのである。
 実態を持つように見える事物というのは、実体性の外見を帯びてあらわれているだけである。

 世界には、実在性に満ちたすばらしい至福からなり、充実し、遍在する唯一者が存在するのみで、そのほかには何も実在しない。この叡智を常に悟っている人は、死と輪廻の苦しみから解脱することになる。

 正しい智慧によって万物を消し去ることができたならば、そこにはかの唯一者のみが存在し、他の何ものも存在しない。このことは行者の心によって明瞭に把握せられる。

【8】人間存在とカルマ

 人間は、父母の食物の容器(アンナマヤ・コーシャ=肉体)から、前生のカルマに応じて生まれる。
 賢者たちは、この肉体を、自己の前生のカルマの果報を受けるためのもので、苦しみであるとみなしている。

 筋肉、骨格、神経、髄などからなり、さらに気道の脈絡の交差する、この果報の神殿は、ただ苦しみを受けるためのものである。

 五つの粗雑元素からなるこの肉体は、苦しみと楽を享受するために作られたものである。

 シヴァ神は精子であり、シャクティ女神は経水である。この両者の結合から、中間状態の存在が、物質の形で生まれた。

 五つの元素の結合から生じた粗雑な物質の中に、魂はもろもろのカルマをひきつれて存在するのである。

 われ(シヴァ神)はその魂の前生までのカルマに応じて、その運命の決定をする。

 魂は非物質であるが、物質の中に住むことによって、カルマの果実を味わう。魂は自己のカルマに縛られて、種々の物質の中に輪廻転生するのである。

 この宇宙の中で、カルマは繰り返して果報となり因となる。自己のカルマの因が完全に尽きたとき、魂は至高のブラフマンの中へ没入する。

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