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シュリー・チャイタニヤ・マハープラブ(24)

【ヴリンダーヴァンにて】

 チャイタニヤはヴァーラーナシーに10日間滞在した後、今度はシュリー・クリシュナの生誕地であるマトゥラーに向かいました。その町の光景を見て、彼は渇仰的情熱の恍惚状態に入りました。マトゥラーに滞在している間、チャイタニヤはトランス状態で歌い踊り続けました。
 彼はここで、彼の師であるイーシュワラ・プリーの指導者であったマーダヴェーンドラ・プリーによってイニシエーションを受けたブラーフマナと、驚くべき対面を果たしました。チャイタニヤはそのブラーフマナから、マーダヴェーンドラ・プリーが復活させた秘密のゴーパーラ像をゴーヴァルダナの丘に奉ったということを聞きました。
 チャイタニヤはヴィシュラムガートで沐浴した後、ケーシャヴァの生誕地でケーシャヴァの像に礼拝しました。そしてマトゥラーと近隣のマドゥヴァナ、ターラヴァナ、クムダ、バフダなどのすべての聖地を巡礼しました。チャイタニヤがそれらの地を訪れると、草を食んでいた牛達は彼を囲んで鳴き、優しく彼の手足をなめました。鹿の群れは彼の顔をじっと見つめ、彼の体をなめ、怯えもせずに彼のあとを追いかけました。黒鳥とミツバチ達はチャイタニヤを見て甘く歌い、孔雀は彼の前で踊りました。チャイタニヤが行くところの木や植物は芽吹き、歓喜の涙を流すようにして蜜を垂らしました。花や果物でいっぱいの枝は、あたかも贈り物を携えて急いで友人を出迎えるように、チャイタニヤの御足に頭をたれました。
 ヴリンダーヴァンに行く途中、クリシュナの御名を歌いながらいつも踊っていたチャイタニヤの敬虔な信仰心は、プリーにいた頃のそれよりも10倍も強くなりました。そしてマトゥラーに到着し、ヴリンダーヴァンの森をさまよい歩いていた頃には、それはさらに千倍にも強くなっていきました。これは1515年11月、彼が29歳の頃のことでした。

 チャイタニヤにとっては、神秘的なヴリンダーヴァンは、ナヴァディープにいた頃から彼の頭を悩ませた夢の国でした。1509年、時の経過と共にジャングル化していったヴリンダーヴァンをクリシュナ時代に再興するための先駆者として、チャイタニヤは弟子の一人のローカナート・チャクラヴァルティを送り出しました。1515年にチャイタニヤが訪ねたときも、この地はまだあまり発展していませんでしたが、彼の訪問は、ここがシュリー・クリシュナに関わる聖地であるという認識を確立しました。

 チャイタニヤのヴリンダーヴァン滞在は2~3ヶ月程の延長をしただけの短期滞在となりました。チャイタニヤは常に歌いながらラーダークンダやゴーヴァルダナ、ゴーヴィンダクンダやカンヤの森、カーリヤの湖、ラウハヴァナ、ゴークラなどの数々な聖なる地を訪れ、信奉者たちにクリシュナ・プレーマを分け与えました。
 しかしそこでの生活は、常に一つの危険をはらんでいたのです。チャイタニヤはヤムナーの景色を眺めてはその激流に頻繁に身を投げ出してしまうため、彼の仲間は何度もチャイタニヤを救出しなければなりませんでした。彼らは、チャイタニヤをあまり長くヴリンダーヴァンに滞在させておくのは危険だと感じ、巧妙にチャイタニヤを説得して、数ヶ月後、プラヤーガ(アラハバード)に帰らせることにしたのでした。

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