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シュリーラーマチャリタマーナサ(9)「聖河の流れ」

「聖河の流れ」

 ご神徳という名の浄水を満々とたたえる神秘の湖を源として、美しい詩の川が流れる。美しい詩にあてはめられる川の名前は、自然美の極致、福徳の源泉、サルジュ川である。詩に寄せる大衆の支持とヴェーダ経典の賛辞は、豊妖な流域にあたる。神聖な神の湖から流れ出るサルジュ川は、あくまで浄らかで最も気品がある。末世の大小もろもろの罪障に見立てられる芝草や雑草を、根こそぎ抜き取り押し流す。真理を求める者、安心立命を願う者、物質的利益を追求する者、この三種類の聴聞者は、流域に点在する小村、集落、市街に見立てられる。梵行を修した聖僧の集団は、至福、至善、超俗的な美観に包まれる聖都アヨーディヤーに比せられる。ご神徳の象徴というべき聖河サルジュ川は、信仰の象徴ガンガーにやがて合流する。愛弟ラクシュマナ様と協力して苦心の末に打ち立てられた赫々たる戦勝の栄誉は、秀麗な大河ソーン川に象徴される。三河が合流する聖地プラヤーグまで、サルジュ、ソーンの両河に挟まれる形で、ガンガーが真理と解脱という名の聖水をいっぱいにたたえながら、愁久の昔から流れつづける。(注 サルジュ川とソーン川はプラヤーグより下流のパトナの辺りでガンガーに合流する。)身体苦、精神苦、社会苦という三種の苦悩を退散させる三聖河がプラヤーグで合流してラーマ様のご本体に擬せられる大海を目指して流れくだる。

 ご神徳の象徴サルジュ川の本尊は「シュリーラーマチャリタマーナサ(ラーマ神王行伝の湖)」である。サルジュ川は、流れくだってラーマ信仰の象徴ガンガーに合流する。この物語の功徳は、聖河の水のように、聞く者の心を浄める。物語には趣の異なる興味深い話が織りこまれる。それは流れに沿って点々と存在する周辺の森や野に相当する。パールヴァティー、シヴァ両神の結婚行伝に加わる奇怪な面々は、川を棲み家とする種々雑多な生き物である。さて肝心のラーマ様のご降誕の慶祝に伴う街の熱狂であるが、これは川面に起こる渦巻きと波紋の美しさを想像していただければよかろう。

 無邪気な四王子の遊びぶりは、川面に咲く色鮮やかな無数の蓮華に見立てられる。ダシャラタ大王と三人の王妃、それに王族一同の格調高い生活は、川面に生きる優美な水鳥と大黒蜂に比せられる。シーター様の婿選びに関する興味深い話題は、流れに沿って広がる素晴らしい眺望に相当する。急所を衝く鋭い質疑は川面に浮かぶ小舟に見立てられ、的確な応答は小舟を操る老練な船頭に擬せられる。物語が終わったあと、聴聞者たちのあいだであれこれと取り交わされる議論は、川岸の堤防を堤防を行く旅人たちの集団に似る。まさかりを振りあげて怒号するパラシュラーマ仙人の憤怒は逆巻く奔流、沈着冷静で珠玉のようなラーマ様のご応答は、完璧に整備された船着場である。時を同じくして行われた四王子の結婚式は、流域の平野に豊かな捻りを約束する洪水に相当する。物語を説き、聞き、理解して、喜びに胸をふくらませる信者は、川水で身を浄めて無上の法悦に浸る巡礼者に似る。

 ラーマ様の載冠式のときに飾られた無数の豪華な装飾品は、お祭りの際に川岸に集まる参拝人の群れと同じである。後日王家に重大な災厄をもたらす原因となった、バラタ様の生母カイケーイーの心に生まれた悪念は、水面を漂う汚物にあたる。頻発する騒ぎをいちいち手際よく解決する、類稀なバラタ様の統治能力は、川のほとりで行われる祈禱祭祀に見立てられる。末世の罪障と悪人の背徳行為は、川底に蓄積するへどろに似る。偉大なご神徳を象徴するこの川は、一年中どの季節にも最高の美観を誇る。シヴァ、パールヴァティー両神の結婚は晩秋の清明、ラーマ様のご生誕は冬の冷涼、四王子の華麗な婚儀は季節の王“春”の歓喜、ラーマ様の過酷な密林生活は夏の猛暑、悪魔討伐の遠征は灼けつく太陽と燃える熱風に相当する。

 天人を水稲に見立てるとき、悪魔軍団との熱烈をきわめる戦闘は恵みの雨を降らせる雨雲。ラーマ王朝の善政、福楽と繁栄、栄光と敬虔の物語は、すがすがしい涼風を送りとどける初秋の冷気。貞婦のなかの貞婦シーター妃に関する話は、玲瓏透徹、比類を絶する聖河の浄水。次弟バラタ様の純良な人柄は、愁久不変の川の流れ。四王子が再会し、抱擁し、談笑し、相互にいたわり励ましあう姿、麗しい兄弟愛は、なんとも言えぬ芳潤甘美な川水の醍醐味。

 トゥルシーダースの心の病、自己嫌悪、貧乏性は、川水の桁はずれの軽やかさに相当する。聖河の浄水には霊妙な功徳がある。その名を聞くだけで不思議な効能が現れる。欲望という渇きを癒やし、心の汚れを洗い流す。ラーマ様のご慈愛を確固不動のものとし、末世の罪障が原因で生ずる魂の衰弱を取り除く生老病死という現世の苦悩を一掃し、富める者には一層の富を、罪業、熱悩、貧苦に喘ぐ者には救いの光明をもたらす。

 この川の水はまた、淫欲、憤怒、狂気、酔妄を退け、明悟と解脱を促す功徳を持つ。敬虔な祈りとともに水を飲み、沐浴する人は、心に巣食う罪障を一掃できる。ご神徳の象徴であるこの川の水で魂の浄化をしない者は、末世の悪風に毒された堕落者と言わねばならない。渇きに苦しむ鹿が、砂地に反射する陽光の輝きを水と錯覚して、狂弄して追っかけ回し、ついに望みをとげられずに嘆き悲しむように、末世の悪風に染まった堕落者も享楽にうつつを抜かして悲しみの尽きるときがない。

 末世の詩人トゥルシーダースは、この神聖な川の水に懸命に思いを馳せる。謹み敬って心の沐浴をする。そしてシヴァ、パールヴァティー両神を祈念しながら、心をこめてラーマ神王行伝の物語を語り進める。

 さて、わたしはここで主ラーマ様の蓮華のような御足に精神を集中させ、神の深いご慈愛をしっかりと心に受けとめる。そのうえで、二人の至尊の仙人の問答から話を展開する。

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