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シュリーラーマチャリタマーナサ(18)「カーマデーヴァの登場」

「カーマデーヴァの登場」

 タラクという名の悪魔が現れて世間を騒がせたのは、その頃である。タラクの悪魔の腕力、精気、情熱は、まことに強大であった。双碗で諸世界を征服し、天国と地上の保護者たちをとりこにし奴隷にした。そのために、天人たちに豊かさと安らぎはなかった。タラクは不老不死の身を得ていたので、誰も彼を滅ぼすことはできない。天人の軍勢が戦いを挑むが、その都度無残に敗れるばかりである。天人たちはやむなく創造神ブラフマー様のところに出かけて行き、救いを求める。天人たちの悩みや苦しみをつぶさに聞いたあと、ブラフマー様は優しく説諭される。

「シヴァ様の精子から生まれる男子が成長し、戦って殺すときにはじめて、タラク悪魔は死ぬ。このことをよく考えて、手段を講ずるがよい。シヴァ様の御助力を仰がなければ、そなたたちの目的は達成されないのだ。

 ところで、ダクシュの祭式の火に身を投じて果てたサティーだが、転生してヒマーラヤの王の家に生まれてパールヴァティーと名づけられた。いまパールヴァティーは厳しい苦行を終え、一方シヴァ様はあらゆる煩悩を断ってサマーディに入り、深い瞑想を続けておられる。まあ、難しいことだが、わたしの話を聞きなさい。愛欲の神カーマデーヴァに頼み、シヴァ様に愛欲の情を起こさせ、サマーディの行を破ってしまうのだ。シヴァ様が現実に戻られたら、わたしが出かけて行って無理にもパールヴァティーとの結婚を承諾してもらおう。お二人のあいだに生まれる男児が、悪魔タラクを滅ぼすことになる。そのときにはじめて、おまえたちの世界にも平和が訪れよう。ほかにはどんな方法もない。」

 天人たち全員が口を揃えて同意する。

「まことに結構な御意見を承りました。」

 天人たちは精神を集中し深い愛情をこめて、神の賛歌を歌いはじめる。するとそこへ、五本の弓を見に帯び、魚印のついた幟を掲げる、愛欲の神カーマデーヴァが忽然と姿を現す。天人たちが苦境を詳しく述べ立てるのを聞いて、カーマデーヴァはちょっとためらったのち、笑みを含みながら言う。

「シヴァ様のご意志に逆らうのは身のためになりませんが、あなた方のためにあえて仕事をひきうけましょう。ヴェーダ経典に、利他行は最高の道徳だと説かれているからです。諸天善神、行者、仙人、みなともに、他者の幸せのために身を捨てる行為を賛嘆いたします。」

 それだけ言うと、天人たちは一揖し、花で造られた弓矢を手に持ち、春の精をはじめとする家来たちを引きつれてシヴァ様のもとに出発する。カーマデーヴァは、シヴァ様に逆らえば死は必定であると、密かに覚悟を決める。カーマデーヴァは一気に勢力範囲を拡大し、たちまち全世界を支配下におさめる。魚印の幟をひらめかせながら怒りも露にカーマデーヴァが進軍するとき、ヴェーダ経典などの戒律や規則はあとかたもなく消滅してしまう。

 純潔、持戒、自制、道徳、倫理、慈善、精進、称名、求道、解脱など、善事を司る精霊の軍勢はみな恐れをなして逃げ出す。総大将の善念は家来を引きつれて、敵前逃亡する。知性という名の将兵はそれぞれに、古書経典という名の山脈の洞穴深くひそみかくれる。古書経典に説かれる公徳心は俗世間から姿を消し、新しい情愛の大波がうねり、生類の魂をもてあそぶ。心ある人々は嘆き悲しむ。

「おお、創造主よ! 世界はどうなっていくのでしょうか? 愛欲の神カーマデーヴァが世界を征服しようとして、威風堂々、進軍してまいります。カーマデーヴァが弓矢を持って攻撃する相手は、いったい誰なのですか?」

 世のなかのあらん限りの、男女、牡牝、雄雌に分けられる生き物たちすべてが、自制心を失って愛欲行為に耽りはじめる。誰も欲情を抑えることができない。蔦葛を見ると交わろうとして樹の枝がたわみはじめる。河川は水が溢れて海に向かって直進する。ターラ樹の雌雄がお互いに引きあって、幹と幹とで交わりはじめる。樹や川などでさえこの有り様であったから、情意で動く鳥獣虫魚の状態についてはとても話せない。空を飛び、大地を駆け、水に泳ぐ、すべての生き物のつがいが、時、所を問わず、発情の時季を選ばず、みな愛欲のとりこになる。生きとし生けるものは例外なく、情痴に盲いて、情愛の炎に責め立てられる。夜間には夫婦一緒になれないチャクワ鳥のつがいでさえ、夜昼見境なく情交を繰り返す。

 天人、魔神、人間、歌神キンナラ、龍、死霊、吸血鬼、幽鬼、食肉鬼、―――これらはいつの場合も愛欲の奴隷とされているので、ここではあえて説明をしない。出家得度した僧侶や高徳の仙人でさえも、欲情に支配されて行から脱落したり、異性が側にいないのを嘆いたりする。

 仙人や苦行者までが性愛のとりこになったほどだから、卑賤な人間については言うまでもなかろう。以前は創造神ブラフマー様の意向が浸透していたのに、いまは情愛がすべてを支配する。女たちは目に触れるありとあらゆるものに男性を感じ、男たちは万物万象に女性と意識する。ほぼ小一時間のあいだ、愛欲の神カーマデーヴァの幻出した性愛の演技が地球の全域を覆い尽くす。

 胸が騒がないものはいない。カーマデーヴァは一切生類の心を、完全に愛欲のとりこにしてしまう。わずかにラーマ様の慈愛の衣に守られるものだけが例外であった。小一時間、世界じゅうで愛の交歓が続くあいだに、カーマデーヴァはシヴァ様のところに辿り着く。犯しがたいシヴァ様の威厳に触れた途端に、カーマデーヴァは恐怖に震え立ちすくむ。すると一瞬のうちに世界はもとの状態に戻って、平静を取り戻す。

 酔っぱらいが恍惚境から醒めて正気に戻るように、地上の生物はすべて理性を回復して幸せになる。なにものにも負けない絶大な力、威厳に満ちた高邁な容姿、真理、名声、光明、知性、財福、解脱の六種の神徳を完璧に具足する最高神、破壊神としての憤怒の形相をも合わせ持つシヴァ様を見て、カーマデーヴァは恐怖のあまり身動きが取れない。逃げて帰れば恥辱となり、目的も果たせない。動けば死が待っている。

 結局、カーマデーヴァは死ぬ覚悟を固めて、とっておきの幻法を用いる。一瞬のうちに、季節の王、春の美しさを地上全体に展開させる。満開の花をつけた新樹の並木が四方八方に列なり、百花が咲き乱れ、鳥たちがさえずり、地表の至るところ春の華やぎに覆いつくされる。

 方々に森林、庭園、花壇、池、泉などが出現して、贅美の彩りを添える。そこらじゅいっぱいに、愛と歓びがこぼれるようである。恐怖のあまり死んだも同然だったカーマデーヴァの心が、春の喜びを見た途端に息を吹きかえし、たちまち生気を取り戻す。周囲を包む森の美しさは言葉では形容できない。愛欲という名の野火の無二の親友、涼しく、穏やかで、香り高いそよ風が小止みなくただよい流れる。池には蓮華は繚乱と咲き競い、台の周りを美しい大黒蜂の群れがを羽音をあげて飛び交う。大白鳥、うぐいす、鸚鵡などは、えも言えない美声で鳴き、天女たちは中空にとどまって愛の賛歌を歌い、天女の舞いを踊る。

 カーマデーヴァは配下の手勢ともども、何千万もの秘術をすべて出し尽くした果てに、ついに疲れて力尽きてしまう。それでも、シヴァ様は依然サマーディの境地に住したまま、身じろぎさえされない。それを見ると、カーマデーヴァは逆上し、怒りは頂点に達する。マンゴー樹の一本の美しい枝を見定めると、憤然と駆けのぼり両脚をその上に踏ん張る。次いで花で造られた弓に五本の矢をつがえて、満身の怒りをこめ、耳もとまで弦を引き絞って狙い放つ。鋭い唸りを上げて飛んだ矢がシヴァ様の心臓に命中し、瞑想は破られ、深いサマーディの境地から目覚められる。

 主神シヴァ様は激しく怒り、目を見開いてあたりをくまなく見回される。するとマンゴー樹の繁みにかくれるカーマデーヴァの姿が見える。シヴァ様の怒りは、この瞬間に爆発される。大神の怒りで、三界は激しく振動する。シヴァ様は第三の眼を見開いて、カーマデーヴァを見据えられる。その熱い視線に射られてカーマデーヴァの体は燃えあがり、たちまち焼け尽きて灰になる。

 世界中が大騒ぎになる。天人たちは恐れおののき、魔神は喜ぶ。享楽主義者は愛欲に耽溺したときの楽しさが忘れられない。信心深い行者たちは、煩悩の束縛から解放されて自由を喜ぶ。その一方でカーマデーヴァの妻ラティーは、夫の訃報を聞いて悲しみのあまり失神する。しばらくして正気を取り戻したラティーは、身をふるわせ泣き叫びながらシヴァ様のところへやってくる。深い哀惜の情をこめて合掌してシヴァ様の面前に立ち、うやうやしく礼拝を捧げて恭順の意を示す。

 気を取り直すことの早いシヴァ様は本来の慈悲に戻り、寄る辺ない宴婦を憐れんで優しく言葉をかけられる。

「ラティー! 今後おまえの夫は、無身アナングと呼ばれることになろう。身体を持たないままで、万物万有に遍満するのだ。死んだカーマデーヴァに再会する道を教えるからよく聞くがよい。現世の耐えがたい重荷を除くために、近くヤドゥ族にクリシュナ神が下生される。時を得て、おまえの夫カーマデーヴァはクリシュナ様の長子としてこの世に生まれ、プラデュムナと名づけられるだろう。わたしの言葉にいつわりはない。」

 この言葉を聞きラティーは、シヴァ様の神約を大切に胸にしまい、嬉々として梵天に向けて立ち去る。

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