サーダナーの指針の花輪(121~130)
121.
たとえあなたが偉大な学問を修めていたとしても、欲望からの自由を勝ち得ていなければ意味がない。
122.
食物への欲望を制御することは、性欲を制御することよりも難しい。
123.
味覚器官を支配するまでは、人は自らの器官の支配者になることはできない。
124.
自己中心性は、すべての悪癖のもとである。
それは、無明によって生じる。
自己中心的な人は、貪欲で、欲深く、賎しく、不誠実である。
彼は神からは遠い。
彼は、自己の破滅のためにあらゆることをする。
彼は他者を傷つけ、他者から奪う。そして自己中心性を満たすための様々な罪深い行為をおこなう。
彼には良心も品格もない。
彼は心の平和を知ることがない。
125.
もし人が利己的でケチであるならば、彼は無駄な人生を送る。
もし彼が気前が良く寛容な心を持たないならば、彼は無駄な人生を送る。
もし彼に慈悲と思いやり、哀れみの心がないならば、彼は無駄な人生を送る。
もし彼が徳、厳格さ、そして瞑想によって自分の人生を導かないならば、彼は無駄な人生を送る。
そして、もし彼が神聖な師やそのグループに、永続的な礼拝と献身の心で奉仕しなかったならば、彼は無駄な人生を送る。
126.
自己中心性は、精神的な進化を遅らせる。
もし自己中心性を破壊することができたら、彼の修行の半分は終わったといえる。
この好ましくない否定的な要素である自己中心性の根絶なしには、正しい瞑想及びサマーディに入ることは不可能である。
志を持つ者は、無私無欲の献身的な奉仕の修行によって、まずこのひどい病である自己中心性を除去することに、すべての注意を向けなければならない。
127.
利己的な人は、正しくあれない。
彼は、ヨーガが必要とする素養を持つ事ができない。
利己的でなく、正しくあることができ、信仰的な素養がある者のみが、「真のヨーギーになりたい」「真のヨーガを学びたい」という欲求を持つ事ができる。
128.
自己中心性は、人の心を狭くし、他者を不当に扱い、けがれた手段で他者の富を盗むことさえ、心に強要する。
このように、自己中心性は、邪悪な行為をおかすことを彼自身に促すのである。
129.
また、自己中心性は、たとえば自分の家族など特定のメンバーだけで境界線の壁を作る。
そしてあなたのエゴはこう考える。――「私の家族が成功しますように。我々だけが幸せになりたい。なぜその他の人々の幸福などを気にかけなければならないのか?」
130.
すべての人を友人だと思いなさい。しかし誰にも執着してはならない。
執着することなく、嫌悪もせず、常に『黄金の中道』を行きなさい。