サラハの「人々のためのドーハー」(7)
躊躇なく問え。
あなたの心という象を解き放て。
彼は川の水を飲むかもしれないが、
彼の至福の背中の上で休息せよ。
感覚という象の鼻に捉えられて、
殺されたように見えるかもしれないが、
すばやい御者のようなヨーギンは、うまく抜け出していく。
輪廻もまた、ニルヴァーナのようである。
いかなる区別もあるとは考えるな。
そしてそれは一つの性質も具えていない。
完全に純粋であるそれを、私は知っている。
家の中で座るな。森へ行くな。
あなたがどこにいようとも、心を認識せよ。
人が完全で完璧な解脱にとどまるとき、
輪廻はどこにあるか? そしてニルヴァーナはどこにあるか?
おお、この真理を知れ。
家の中も、森の中も、どちらも解脱の住処ではない。
けがれのない思考である自己の本性によって、
ごまかしの作り事から自由になれ!
「これは私であり、これは他です」
――あなたの周りを取り囲む、この足かせから自由になれ。
そしてそれによって、あなたの「私」は自由になる。
自己と他についてのこの問題において、誤ってはいけない。
すべては例外なく仏陀である。
けがれなき最終ステージは、ここにある。
真の本性の中で、思考が純粋であるところに。
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