クンサン・ラマの教え 第一部 第一章「自由と縁を得ることの難しさ」(3)
2.心構え
ダルマを聞く心構えについて、誤った心構えと正しい心構えについて、以下のように説く。
誤った心構えとは、三種類の欠陥のある器、六つのけがれ、五つの間違った覚え方である。
三種類の欠陥のある器
教えを聞かないことは、さかさまの器のようである。
聞いたことを心にとどめておけないのは、穴の開いた器のようである。
聞いたことに負の感情を混ぜるのは、毒の入った器のようである。
1.さかさまの器:教えを聞いているときは、説かれていることに集中し、他のことに気を散らしてはならない。そうしなければ、さかさまの器に液体を注ぐようなものである。物理的にその場にいたとしても、教えを一言も聞いていないのと同じである。
2.穴の開いた器:聞いたことや理解したことを、覚えずにすぐ忘れてしまうとしたら、穴が開いて漏れる器のようなものである。どれだけ注ごうとも、何も残らない。どれだけ多くの教えを聞いたとしても、取り入れることも実践することもできない。
3.毒の入った器:偉くなりたい、有名になりたいなどという欲望や、五毒に満たされた心のように、誤った動機を持って教えを聞いたとすれば、ダルマはあなたの心を救うことはできず、それはダルマとは全く異なったものに変わってしまうだろう。まるで毒の入った瓶に甘露を注ぐようなものである。
ゆえに、インドの聖者であるパダンパ・サンギェーは次のように説いた。
音楽を聴くシカのように教えを聴きなさい。
北の遊牧民が羊の毛を刈るように教えを熟考しなさい。
愚か者が食べ物を味わうように教えを瞑想しなさい。
飢えたヤクが草を食べるように教えを修行しなさい。
太陽が雲からあらわれるように、その成果にたどり着きなさい。
教えを聞いているときには、ヴィーナの音に夢中になって、隠れた猟師が毒矢を放った音にも気づかないシカのようになりなさい。合掌して教えを聞き、鳥肌を立て、目には涙を浮かべ、他のことは決して考えてはいけない。
物理的な体として存在しているだけで、心はここにあらず、あれこれ考えたり、噂話をしたり、おしゃべりをしたり、周りをキョロキョロ見渡したりしてはいけない。教えを聞くときは、祈願文を唱えていても、マントラを数えていても、あるいは他のどのような功徳を積む行ないをしていても、やめなければならない。
以上のように、正しく教えを聞いた後には、忘れることがないように教えの意味を覚え、実践し続けることも大事なことである。マハームニ(お釈迦様)自身が次のように説いている。
わたしはあなたに道を示した。
それによりあなたは、解脱・悟りに導かれる。
しかし、知らなければならない。
解脱・悟りを得られるかどうかは、あなた自身の実践にかかっていることを。
師は弟子たちに指導を与え、どのようにダルマを聞き、実践し、悪しき行ないをやめ、善き行ないをするかを教える。しかし、教えを忘れずに覚えるかどうか、実践するかどうか、成就するかどうかは、弟子次第である。
ダルマをただ聞くだけでも、少しは助けになるかもしれない。しかし、聞いたことを覚えず、教えの言葉や意味を全く分かっていなければ、何も聞いていなかったのと等しい。
教えを覚えていたとしても、悪しき感情と混ぜてしまえば、もはや純粋なダルマではなくなってしまう。
比類なきタクポ・リンポチェは、次のように説いている。
ダルマに従ってダルマを修行しなければ、
ダルマそのものが悪しき転生の因となる。
師やダルマに対する間違った考えをすべて取り除き、兄弟弟子や仲間たちを非難したりののしったりせず、自尊心や慢心をなくし、悪しき考えをすべて捨てなさい。これらはすべて、悪しき転生を生み出す因である。