クンサン・ラマの教え 第一部 第一章「自由と縁を得ることの難しさ」(2)
1-2 悟りに導く偉大なる方法:秘密真言乗の動機
「三つの方法の灯」において、秘密真言乗は次のように説かれる。
目標は同じであるが、まったく混乱がなく
方法は多様であるが、困難がなく
優れた能力を持つ者のための教えである。
マントラヤーナは甚深である。
マントラヤーナは多くの道から入門することができる。功徳と智慧を積む多くの方法を持ち、深遠な悟りに導く優れた方法により、わたしたちの中にある可能性を、大きな困難もなく実現させる。
ダルマが説かれている場所、師、ダルマの教えなどを、ありきたりのものであるとか、不浄なものであるなどと考えてはいけない。ダルマを聞くときには、次の「五つの完成」を肝に銘じなさい。
場所は完全なダルマダートゥの砦、あるいはアカニシタ天である。
師は完全なダルマカーヤのサマンタバドラである。
その集会は、勝者仏陀の心の相承と、持明者たちの象徴の相承の、男女の求道者と諸尊の完全な集会である。
あるいは、ダルマが説かれている場所を光り輝く銅色の聖山(サンドゥ・パリ)にある蓮華の光宮殿、師をウッディーヤナのパドマサンバヴァ、自分たち生徒を八人の持明者たち、二十五人のパドマサンバヴァの弟子たち、ダーカやダーキニーたちと考えなさい。
あるいは、場所は東の仏国土である歓喜の地であり、そこでは完全な師であるヴァジュラサットヴァ、つまり完全なサンボーガカーヤが、ヴァジュラの一族の神々や男女の求道者たちにダルマを説いている。
あるいは、場所は西の仏国土であるスカーヴァティであり、そこでは完全な師であるアミターバが、蓮華の一族の神々や男女の求道者たちにダルマを説いている。
いずれの場合も、完全な教えとはゾクチェンであり、完全な時とは永遠に回り続ける車輪である。このように観想することは、物事の真のありようを理解する助けとなる。観想とは、存在しないものをそのときだけ作り出す行為ではない。
師は、過去・現在・未来のすべての仏陀方の本質を体現しており、三宝の融合である。師の身体はサンガであり、言葉はダルマであり、心は仏陀である。
また、師は三つの根本の融合である。身体は師であり、言葉はイダムであり、心はダーキニーである。
また、師は三つのカーヤの融合である。身体はニルマーナカーヤ(変化身)であり、言葉はサンボーガカーヤであり、心はダルマカーヤである。
師は、過去のすべての仏陀方と、未来のすべての仏陀方と、現在のすべての仏陀方を代表する体現者である。
善きカルパにあらわれた何千もの仏陀方ですら救うことのできなかったわたしたちのような堕落した者たちを、師は弟子としているのである。師の慈悲と寛大さは、すべての仏陀を超えている。
師は仏陀である。
師はダルマである。
師はサンガである。
師はすべてを成就した者である。
師は栄光ある持明者である。
わたしたちは今、師のもとに集い、教えを聞いている。そして自分たち自身がブッダになり得るという特性を基盤に持ち、貴重な人間としての生と、師を持つという環境と、その教えに従うことによって未来際においてブッダとなる可能性とがある。
ヘーヴァジュラ・タントラには次のように説かれている。
衆生は皆、仏陀である。
しかし、後天的なけがれによって覆い隠されている。
そのけがれが浄化されたとき、悟りの境地があらわれる。