ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュ(2)
ギリシュの生涯はとても興味深く、それは希望のない者に希望の光を与え、不実なものには誠実さを、探求者には神のインスピレーションを与えてくれます。
ギリシュは1844年2月28日、カルカッタで信心深い両親の元に生まれ、のびのびと陽気に成長しました。彼は父親から鋭い知性と人生への実際的アプローチを受け継ぎ、母親からは文学を愛する心と神への献身を学びました。しかしギリシュをインドの叙事詩と神話の豊かな遺産に導いたのは、彼の祖母でした。夕刻になるとギリシュは祖母の語りをうっとりとした様子で注意深く聞いたのでした。ある時、祖母はヴリンダーバンからのクリシュナの出発のエピソード(バーガヴァタで最も感動的な場面のひとつ)を話してくれました。
『クリシュナのいとこのアクルーラが、クリシュナをマトゥラーに連れていくためにヴリンダーバンにやってきた時、ゴーピー達は絶望でいっぱいになりました。クリシュナが二輪馬車に乗ると、牛飼いの男の子達は「おおクリシュナ、どうか行かないで!」と泣きながら懇願し、牛飼いの女の子たちは馬車のタイヤや手綱にしがみついたりしました。それでもアクルーラは構わずにクリシュナを連れて去っていきました。こうしてクリシュナと牛飼い達の楽しい日々は終わりました。』
ギリシュは熱心にその話を聞いていましたが、最後は目に涙をいっぱいに溜めて、「クリシュナはそのあとヴリンダーバンに戻ったの?」と同じ質問を3回繰り返し、祖母はそのたびに「いいえ」と答えました。そのあとギリシュはわっと泣き出して走ってどこかへ行ってしまいました。そしてそれからの数日間、彼は祖母の語りを聞きたがりませんでした。
ギリシュの母親は、彼が11歳のときにこの世を去りました。ギリシュの父親は非常に優しく寛大ではありましたが、彼は息子に、一人前になって神のみに依存することを願っていました。
ある日、ギリシュは父親と一緒に、船でカルカッタからガンガーを数マイル上ったところにあるナバドイープというシュリー・チャイタニヤの生誕地を訪れました。しかし道の途中で、船が突然逆流に飲み込まれ、沈没しそうになりました。ギリシュはぎゅっと父親の手にしがみついていました。その後、幸いボートは安全に操縦され、無事に岸に到着しました。しかし父親はギリシュに、
「なぜ私の手をつかんだんだ? 私は自分の命のほうが大切なんだよ。船が沈み始めたら、お前を見捨てて手を振り払っていただろうね」
と言いました。
後年、ギリシュはこの事件について、
「父の容赦のないこの言葉に、私はすごく傷ついた。しかしこれによって、万事において頼れるのは神のみだ、ということを学んだのだ」
と言いました。
母親の死から3年後、この父親も亡くなりました。
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