ギッジャクータ(霊鷲山)
お釈迦様が生まれた場所(ルンビニー)、悟った場所(ブッダガヤー)、初めて説法をした場所(サールナート)、涅槃(亡くなった)場所(クシナガル)を、仏教の四大聖地といいます。
2500年前の人物についてこれだけの事実がわかっているというのは大変驚くべきことではありますが、もちろん、それが本当であるかどうかは、伝承を信じるほかはありません。
特に生まれた場所と亡くなった場所に関しては、仏教を保護したアショーカ王の碑文その他の伝承などによっているわけで、特に状況証拠があるわけではありません。
悟りを得た場所は、お釈迦様は菩提樹のもとで悟りを得ましたが、今、ブッダガヤーにある菩提樹は、もちろん当時の菩提樹ではなく、元の樹の分け樹だということです。もちろん、それが本当かどうかもわかりませんし、あの場所がドンピシャでお釈迦様が悟った場所であるかもわかりません。分け樹ということは、そうでない可能性もあるでしょう。ただ、あのブッダガヤーという地域でお釈迦様が悟りを得られたのは事実でしょうから、ブッダガヤー全体が祝福されているのは確かだと思います。
初めて説法をしたサールナートも、大体あの辺というのがわかっているだけで、本当にリアルにどの場所で教えを説いたのかはわかりません。しかしこれももちろん、ブッダガヤー同様、初転法輪の地ということで、サールナート全体が祝福されているのは間違いないでしょう。
さて、このようにかなり曖昧な部分を残しているとはいえ、2500年前という事を考えると、ここまでわかっているだけでもすごいことだといえるかもしれません。
ところで、今日書きたかったのは、上記の四大聖地に比べるとあまり顧みられない、ギッジャクータ(霊鷲)山についてです。
ギッジャクータ山があるラージギル(ラージャガハ)という地域は、お釈迦様在世時は、マガダ国の首都として栄えました。お釈迦様は晩年、この地域に滞在し、このギッジャクータ山や、竹林精舎などに住み、修行し、教えを説いたと言われます。
このギッジャクータ山では、お釈迦様は大乗経典を説いたと言われていますが、もちろん、そのような史実はありません。しかし晩年の説法ですから、弟子達も多くの者が高い段階に進んでいたでしょうから、比較的高度な教えが説かれたのは事実ではないかとわたしは推測します。
そしてこのギッジャクータ山というのは、岩山ですので、他の聖地と違い、2500年たっても、間違えようがないと思うのです(笑)。ここは非常に特徴的な岩の峰で、山の中でその部分だけがボンと突き出ており、一見、鷲がとまっているように見えるので、霊鷲山と呼ばれています。
地上の聖地は、2500年の間に、(仏教があまり顧みられなかった時代もありますから)、いろいろなものがその上に建てられたり壊されたりを繰り返され、本当にその場所がどこだったのかわかりにくくなっています。
しかしギッジャクータは、普段は人の入り込まない場所にある岩山なので、2500年たっても、まあ、もちろん、岩の表面が雨風で削られたりということはあったでしょうが、ほとんど当時のまま残っていると言っていいのではないでしょうか。つまりあの峯の頂上のあの場所で、実際にお釈迦様や弟子達が、修行したり説法したのだろうというリアリティを強く感じられるのです。
マガダ国の首都は、アショーカ王の時代にラージャガハから別の場所に移されたので、その後、このラージャガハ(ラージギル)は廃れ、ただの田舎町と化していきました。しかしそのおかげで、お釈迦様のすばらしいヴァイブレーションが比較的保存されたともいえるのかもしれません。
わたしは個人的に、このラージギルやギッジャクータ山は好きな場所です。ここで瞑想すると、悟りへと導く強烈なパワフルなエネルギーを感じます。
ブッダガヤーから車で四時間ほどのところにあり、ブッダガヤーと違って観光客目当てのうるさいインド人もいませんので(笑)、ブッダガヤーまで行く機会があった場合は、ぜひこのギッジャクータまで足を伸ばしてみたらいいと思います。
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