キャラ・ケンポ・チェチョク・トンドゥプの生涯(3)
1926年、ケンポは隠遁修行を行なっていました。彼はドドゥプチェン三世が亡くなったことを知りませんでした。しかしある朝、朝食を摂っていると、誰かが他の者にこう叫んでいるのが聞こえました。
「こっちに来て、僧院の周りを掃除するのを手伝ってくれ。リンポチェの遺体が隠遁所から運ばれてくるんだから。」
いつもとは違い、その声はとてもはっきりと聞こえ、大声でした。彼は雷に打たれたように感じました。彼にとって世界全体が虚しく、暗く感じました。もはやその場所で生きている理由がなくなり、すぐにどこか遠くへ行きたくなりました。彼は生き延びるためにはただ瞑想に頼るしかありませんでした。彼はもっと多く瞑想し、それによって彼の瞑想は大きく進歩し、強化されました。
ドドゥプチェンが亡くなったと聞いたまさにその日から、残りの三十年の人生のあいだ、彼は歩いたり馬に乗っているとき以外は、横になることさえなく、常に瞑想の姿勢で座り続けました。夜は瞑想の姿勢で座って眠りました。彼はこう言ったものでした。
「わたしは座っているから眠りが四時間で済むのであって、横になったらもっと長く眠ってしまうだろう。そして瞑想のために使わないなら、時間は無駄になってしまうのです。」
1935年、ケンポ・コンメが病気だったために、ケンポは厳しい隠遁修行ではなく、軽い隠遁修行に入りました。隠遁修行に入る前に、彼はケンポ・コンメにこう言いました。
「ドドゥプチェンが亡くなったとき、わたしはもはや存在し続けることはできないと感じました。もし瞑想がなかったならば、わたしはこの世から去っていたでしょう。だから、あなたまでもが亡くなったならば、わたしはここで生きていることはできません。本当にあなたは、わたしが頼ることのできるただ一人の人なのです。」
(1936年の)十二番目の月の二十九日目の朝、誰かが彼の扉をノックして、こう言いました。
「昨夜、ケンポ[・コンメ]が彼の浄土を変えました[亡くなりました]。」
ケンポは翌日、隠遁修行終了の儀式を終えたあとに小屋から出てきて、葬式に参加しました。このとき彼は、ドドゥプチェンが亡くなったときとは違い、あまりショックは受けませんでした。彼は、ケンポ・コンメが自分のために祈ってくれたにちがいないと思いました。
四十二歳のとき、彼の師の死後、彼は徐々に、ドドゥプチェン僧院における四人の中心的なケンポの一人としての役職を受け入れていきました。ドドゥプチェン僧院や他の僧院で、二人の若いドドゥプチェン・リンポチェ四世を含む生徒たちに対して教えを与え始めました。