カルマの解放
流し台に汚れがこびりついていたとする。
そこに激しく水を当てる。
汚れはいったんはがれ、大量の水とともに流し台に浮き上がる。
これがカルマの解放だ。
もしそこで全く心を動かさなければ、カルマは水とともに、排水溝から流れ去る。
しかしじっくりと耐えても、少しは心が動いてしまうだろう。
それによって、水が排水溝に流れた後も、いったん浮いた汚れの一部が、また流し台に残ってしまう。
しかしそれは、以前と比べればカルマは大きく減っているのだから、喜べばいい。
最悪なのは、カルマが解放され、汚れが浮き出たとき、心を大きく動かし、たとえば憎んだり、愛着したり、あるいはそれのみならず、言葉や行為で更なる悪いカルマをつんでしまったときだ。
これはちょうど、排水溝が詰まり、水が逆流してしまったときのようだ。
流し台は以前以上に汚れ、悲惨な状態になってしまう。
これなら、カルマの解放など起こらないほうがよかったということになってしまう。
ヨーガや仏教の修行をしたり、神に心を向けると、「カルマの解放」が起こる。
しかしそこは覚悟をもって挑むべきだ。
すべては自己のカルマなのだから、心を動かさずに、耐えようと。
いや、耐えるどころか、喜びを持って、カルマの解放の激流を乗り切ろうと。