イダム
イダムとは、密教の修行において、修行者を守護する高位の守護神のことです。
守護神といっても、いわゆるまだ輪廻に縛られた神ではなく、色界において報身(サンボーガカーヤ)として姿を現した、完全なるブッダの化身といっていいでしょう。
イダムはそれぞれ、さまざまな顔だったり、いろいろな法具を持っていたりしますが、これらは、修行者が昇華しなければいけないさまざまな要素を示しています。修行者はこのイダムを観想し、これらと合一することを目指すことによって、自分の中に眠る聖なる性質を、この現世において目覚めさせようとするのです。
しかし現実的な問題としては、イダムを心に常に抱きつつも、修行者は、イダムよりも自分の師匠への帰依を強めることが優先されます。それは解脱していない弟子の汚れた心で観想されたイダムのイメージは、同様に汚れを持ち、それは弟子の成長にならないばかりか、汚れを増長させる結果にもなりかねないからです。
よって現実的に目の前に存在する師匠は、弟子とイダムをつなぐ架け橋として必要なわけです。弟子は師匠といダムが同じであると見ることによって、実際の師匠のエネルギー、言葉、波動、指導などによって、自己の汚れの修正を行なってもらい、最後には師匠と同一であるイダムと合一するわけです。
これに関する有名な話が、ナーローパとマルパの話の中でありますね。
あるときナーローパは、寝ていたマルパを起こし、
『マルパ、起きろ! お前のイダムであるへーヴァジュラが現われたぞ!』
と言いました。マルパが起きてみると本当に、いつも瞑想で観想しているへーヴァジュラが、現実の存在として目の前に現われていました。
ナーローパは言いました。
『さあどうする? お前のイダムであるこのへーヴァジュラを礼拝するか、それともグル(師匠)である私を礼拝するか?』
マルパは、
『私の師匠であるナーローパには、いつでもお会いできる。しかしへーヴァジュラが実際に現れるというのは、稀なことだ。』
と考え、へーヴァジュラに礼拝しました。
するとナーローパは、
『間違いを起こしたな!』
と言って指をパチッと鳴らすと、へーヴァジュラはナーローパの心臓に吸い込まれて溶け込んでいきました。そしてナーローパはこう言いました。
『グルが現われる以前には
仏陀釈迦牟尼さえ存在しなかった
1000カルパの偉大なブッダ方は
ただグルゆえにやってくる』
マルパは普段から、イダムよりも師匠の方が大事であることを理解していましたが、このときは心が魔にとりつかれ、このような判断をしてしまったのでした。そしてこの後しばらくマルパは、魔の影響によって、心身ともに衰弱し、苦しめられました。しかし最後はナーローパの神通力により、その魔の障害から救い出してもらいました。
イダムには、優しい顔をした平和のイダムと、恐ろしい姿をした怒りのイダムがいます。さらに怒りのイダムは、怒りのイダムと激怒のイダムに分けられます。
平和のイダムはやさしい慈愛の象徴であり、怒りのイダムは激しい慈悲の象徴ともいえます。
一般に平和のイダムはバガヴァット、怒りのイダムはへールカと呼ばれます。
また、女性系のイダムの場合、平和のイダムはバガヴァティー、怒りのイダムはダーキニーと呼ばれます。
男性のイダムは、純粋な覚醒したエネルギー、菩提心、至福、方便などをあらわし、女性のイダムは、空性、智慧などをあらわします。
密教でよく描かれる男女の神の合一の絵は、この二つの要素、つまり智慧と方便、空性と菩提心の合一による完全な解脱の表現です。
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