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イエス・キリストの生涯(5)

◎誘惑と勝利

 洗礼ののち、救世主イエスは荒野の隠遁所に籠り、厳しい苦行と断食を行いました。断食の四十日目の終わりに、彼は空腹を感じました。苦行と瞑想は、奇跡を起こす神の力を彼に与えました。そして、彼は人々を救い、癒すために、奇跡を行なったのでした。

「なぜ今、石をパンに変えたり、空腹を和らげてくれる神の力を使わないのか?」

 悪魔サタンはこのようにイエスを誘惑しました。しかし、救世主イエスは断固として、この誘惑に屈することを拒み、こう言いました。

「人はパンのみにて生きるにあらず、神の口から発せられた一つ一つの言葉によって生きるのだ。」

 すると再び、誘惑が神の力を試すために、現われました。

「なぜ、教会のてっぺんから身を投げないのだ? おまえが神の子であるならば、天使たちがおまえを受け止めてくれるはずだ。」

 悪魔サタンがそう囁くと、救世主イエスは再びその誘惑を払いのけて、こう言いました。

「おまえは、主なる神を誘惑できない!」

 第三の誘惑は、主が悪魔に山の頂上に連れていかれたときに目の前に出現しました。悪魔は主に世界を見せ、こう言いました。

「このすべてをおまえにやろう。もしおまえがわしにひれ伏して、礼拝するならな!」

 しかし、救世主イエスがそれに同意するでしょうか? いいえ、彼の顔は次第に険しくなっていき、悪魔をこのように叱責しました。

「ここから立ち去れ、サタンよ! 聖書には『主なる神を礼拝せよ、ただ主のみに仕えよ』と書かれているのだ!」

 すると悪魔は消え失せ、天使たちが主に仕えました。
 この主の人生における大きな出来事の中で、主はわれわれに、三つの大きな素晴らしい指示を与えてくださってくれているだけでなく、霊的な力は真の霊性の求道者の歩く道においては障害として考えるべきものであり、たとえ主の恩寵によって霊的な力を得たとしても、それを利己的な目的のために利用しようなどとは絶対に考えてもいけないということを、身をもって警告してくださっているのです。救世主イエスは、火あぶりの刑に処されるときも、奇跡的な力を使って十字架の磔(はりつけ)から身を守ることはしませんでした。主が旅の間行なった奇跡は、すべての衆生への愛と慈悲で溢れかえった彼のハートの至高の哀れみから行なわれたものでした。彼は病人を癒し、死人を蘇らせたこともありました。しかし、彼が本当の意味で行なっていたことは、彼が癒した人々から魔を追い払うことでした。彼らが過去に犯した悪業と隠れた悪しき性向が、肉体的、あるいは精神的な病気となって現れていたのです。イエスは堕落した魂を改心させ、本来の純粋なる状態に戻したのです。イエスは堕落した魂たちのために、主の慈悲と許しを得ました。彼の輝かしい存在を目にして、彼らは神に強い信仰を抱いただけでなく、救世主イエスについていき、彼の教えに従って新たな神聖な人生を送りたいという心からの渇仰心を感じたのです。救世主イエスの慈悲深い癒しの恩寵を獲得したのは、この信仰であり、この心からの懺悔だったのです。

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