アディヤートマ・ラーマーヤナ(1)「ラーマに礼拝いたします」
アディヤートマ・ラーマーヤナ
子供時代
第一章 ラーマについての真理
◎ラーマに礼拝いたします
意識の光であり、朽ちることなき者よ。
デーヴァたちによって懇願されし者よ。
太陽族の子孫として人間の御姿をとって地球に誕生された者よ。
悪魔の一族を滅ぼし、その罪を破滅させ、聖なる名声を永遠に世界中に轟かせた後、再び原初のブラフマンとして彼御自身の原初の御姿をおとりになられた彼、ジャナカの娘の主を、私は崇拝いたします。
世界のシステムの創造、維持、破壊の中のただ一つの原因よ。
マーヤーとして知られる力の顕現を支えながら、同時にその影響からは解放されているお方よ。
一切の知的な概念を超越した御姿をお持ちのお方よ。
至福と純粋な意識が凝縮された彼、シーターの主、真理の理解者を私は崇拝いたします。
一切のプラーナから認められているアディヤートマ・ラーマーヤナと呼ばれるこの聖典を、心からの集中を持って学び、聞く者たちは、一切の罪から解放され、彼らはシュリー・ハリに達する。
解脱を熱望する者は、アディヤートマ・ラーマーヤナを真に学ぶべし。その朗読を毎日聞く者は、数千万の牛を供養をすることによって得られる功徳と同等の功徳を得る。
このシヴァという山からもたらされ、ラーマという大海の中でその恍惚を得るアディヤートマ・ラーマーヤナというガンガーは、三界の一切を浄化する。
◎パールヴァティの質問:ラーマは世俗に心を奪われたのか?
かつて、カイラスの天界の庵の百の太陽のように光り輝く金剛座に座し、三つの眼を持つ神であり、至高なる主であり、帰依処を与える者であり、シッダたちに崇拝される者であり、至福の住居であられるシヴァは、罪を滅ぼす以下の言葉で、山の娘であり、彼のコンソートであるパールヴァティ女神によって、信仰を持って呼びかけられた。
パールヴァティ:光り輝き、世界のシステムの住居であられる汝に礼拝いたします!
汝は一切のジーヴァが対象とするところの究極なる予言者であられる!
汝はまた、一切の存在を超えた至高主であられる!
永遠なる一者でもあられる汝が、至高なる霊性の実体、プルショーッタマについての真理を、喜んで私にお授けくださいますように。
見よ! 偉大なる者たちは、普通の課程で他者に伝えられるべきでない重要な霊性の秘密でさえも、信者たちにはお授けくださいます。私は汝の帰依者であり、汝は私の愛する者。ゆえに、おお、主よ、喜んで私の質問にお答えください。
無智な女である私でさえも理解することができる、簡単でシンプルな言葉で、霊的な経験を生み出し、至高なる信仰心と世俗の価値への無執着によって現れる叡智を開示してください。
おお、蓮華の眼を持つ御方よ! 私はまだ他に至高なる深遠なことについてお聞きしたいことがあります。どうか、それについて私にお教えください。
一切の存在のエッセンスであるラーマへの信仰は、輪廻の海を渡るための頑丈な船であることは周知の事実であります。
至高者へのバクティは、解脱への王道であり、その達成のために求められるものであることは周知の教えです。けれども、私はそれについていくつかの疑問があります。汝の明解な説明によって私の心からそのような疑問を払拭することは、汝の義務であります。
ラーマは、プラクリティのグナの一切の顕現を超越している原初の存在であり、それらによって影響を受けないといわれています。彼をそのように受け入れ、人は無条件の敬愛をもって、昼夜を通じて自らを彼に捧げることによって、至高なる境地に達するのです。
けれども、ある人々は、ラーマは、御自身が至高なる存在であるにも関わらず、彼御自身の無智の力により、御自分をブラフマンであると知ることができなかったと言います。また別の者(ヴァールミーキー・ラーマーヤナの中で述べられたブラフマー)によって教授されるとき、彼は超越的自己についての真理を知ることになったのです。
もし彼が、早いうちに御自身についての真理を知っていたとしたら、どうして至高者である彼が、シーターを失うことによって悲嘆に襲われ、御自分の運命を嘆いたでしょうか? しかし、もし彼が真我の叡智を持っていなかったらならば、どうして彼は、一切の無智なる衆生と同等でありながらも、崇拝の適切な対象であるのでしょうか?
あなたのこの難問に対する説明は、私にそれを知らせ、私の疑問を取り除いて下さるでしょう。
◎マハーデーヴァがラーマについての真理について語る
シュリー・マハーデーヴァは仰った:真我に関する真理を知りたいという欲求を得たことは、お前にとってなんと幸運なことか。お前は帰依者である。今までは、秘伝的で、深遠で、微妙な教義であるラーマに関する真理について、誰も私に尋ねるものはいなかった。
今日お前によって、献身的に尋ねられ、駆り立てられた私は、ラグの一族で最も気高き者に十分な礼拝を捧げた後、お前の質問に答えよう。ラーマはプラクリティとは異なる真我。彼は純粋なる至福そのものであり、一切の存在物を超越した至高なる魂であり、一切を包含する存在である。
彼の御力であるマーヤーシャクティによってこの全宇宙が計画された後、彼は空元素のように宇宙の内外に住んでおられる。このように、彼は一切の存在の中に住んでおられるにもかかわらず、彼が彼らの最も奥深い部分の真我であるように、完全に彼らからは隠されている。彼は完全なる予言者であり、彼のマーヤーの創造によるこの一切の宇宙の目撃者なのだ。
彼の前で、全宇宙は、磁石を取り巻く鉄くずのように渦巻く。無明(アヴィディヤー)の力で覆われた心を持つ無智なる者には、これは分からない。
マーヤーに影響を受けない純粋なる意識であり、至高なる真我であられるラーマの上に、無智なるジーヴァは自分自身の無智を重ね合わせ、ラーマを自分たちのように世俗のもつれに巻き込まれていると理解する。彼らは自らの血縁者や俗世の財産に執着し、多種多様の活動に巻き込まれ、ちょうど自分自身の首に装飾されている金の首飾りの存在を認識できないように、彼らの胸に住まうラーマを、彼らは知覚できないのだ。
光り輝く性質を持つ太陽の中では、闇は存在することはできない。ならば、純粋なる意識であり、一切の超越者であり、至高なる真我であられるラーマの中に、どうして無智が存在することができるであろうか?
眼が回っていて、視力に欠陥のある者は、家や他の対象物があまりにもグルグルまわっているように見える。(外の対象物の回転する動きは、彼らの眼が回っているという性質に過ぎない。)同様に、人々は、身体と感覚の結合の中で、行為者の役割を演じている彼ら自身の「私」という感覚(アハンカーラ)の利己的な行為を、至高なる真我に重ね合わせることによって、迷妄に陥っている。
障害なく、不変に光り輝く性質を持つ太陽の中には、いかなる時にも昼も夜も存在し得ない。同様に、純粋なる意識が凝縮した至高なる存在ハリであるラーマの中に、いかにして、限定された意識の中に見られる二つの無常なる状態である、智慧と無智が存在し得ようか?
ラグの最高の勇士であるラーマは、上昇や下落といったものを持たない純粋な至福意識の本質なのだ。その蓮華の眼をお持ちの主は、アジュニャーナ(無智)の目撃者であり、その犠牲者ではない。無智の力であるマーヤーは、彼に依存しているため、決して彼を迷妄にし、無智にすることはないのだ。
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