これらの道を踏んで自己を浄化しなかったならば
これらの道を踏んで自己を浄化しなかったならば、次のような過失が生じる。
①この世の執着を断じられないので、真理を実践したいという望みが堅固にならない。
②表裏のない帰依心が生じないので、帰依処に対して心を任せることができない。
③カルマの法則に対して確信を得られないから、いかなる戒も詳細に遵守することのできない、粗雑な修行者になる。
④輪廻に対しての嫌悪が正確に生じないから、解脱への希求心も表面的なものに終わる。
⑤慈愛と哀れみの根本を有する、偽りのない誓願の菩提心が生起しないから、名前だけの大乗者なる。
⑥菩薩行を学習することに対する強い望みが生じないから、正しい悟入の戒が生じない。
⑦寂止と正観への正しい理解が生じないから、些細なサマーディにも迷乱し、無我の見解に対して確信が生じない。
このような過失に陥らないように、パーラミターヤーナとマントラヤーナの二つの大乗の道を浄化すべきである。
そのために、パーラミターヤーナとマントラヤーナの共通の準備修行は、それらに対して確信が生じていない間は修習すべきなのである。
ジェツン・ミラレーパも、次のようにおっしゃっている。
「善と不善の諸々のカルマに対して、因と果を正しく考えないならば
耐えがたい悪趣の苦しみを受ける。
よって、些細なカルマに対しても、怠惰にならずに、正念によってとらえなさい。
五妙欲を過失として見ず
厭逆ということが心の内から出てこなかったならば、
輪廻の牢獄から解放されないから
すべてを幻と理解する認識によって、
苦しみの生起を対治することをよりどころとしなさい。
父母である六道の衆生に対して恩を返さないことは
小乗として迷乱する因である。
それ故、大いなる哀れみによって
菩提心を学習しなさい。」
「私は八つの不自由を恐れに恐れて、無常と輪廻の過失を修習した。
三宝に対して心を預けた。
カルマの法則の理解に努力した。
方便の菩提心によって心の連続体が浄化されたので、習気の障害の流れの道は断たれた。
現われた限りの顕現は幻として了解した。
さあ、もう三悪趣に対する恐れはない。」