ここは
そこは始まりも終わりもなく
なぜ?もなく
すべてが一つで
至福に満ち
分析的思考を超え
言葉も消え
すべては師であった
すべてはお遊び。
ニルヴァーナはここにある。
もとから輪廻がニルヴァーナなのだ。
すべては概念が作った幻
救済とは、魂のふれあい。
目をつぶると、歓喜にさらわれてしまう
戒律はリハビリ。
教えを記憶し
教え通り生きる
それは悟りのためのリハビリ。
目指すべきは環境や体のトランスフォームではなく、心のトランスフォーム。
たとえ悪人でも、彼が神の意思のもとに役割を演じているならば、それは智者である。
ここまで来たら普通はもう生きる必要はない。
しかし菩薩やバクタは、生きる。
なぜ?
ああ、智慧が歓喜を生むのだ。
きづきが、覚醒が、歓喜を生む。
死後、私は、母なる宇宙意識に合一するだろう。
しかし真実には、究極的には、後とか前とか、今とかもないのだ。
始まりと終わりのある世界に迷い込んだ我々の
元に戻ろうとする力。
それが菩薩、ブッダ。
この辺が、言葉の限界かな。
さあ、日々、修行に励もう。
今心に浮かぶ疑問は
すべて意味なき疑問。
悟りを目指せ。
そうすればすべてがわかる。