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おかげさまです

 「もったいない」という表現が、日本語にしかない表現として世界で注目されたというニュースが先日あったが、日本語にはなかなか良い独特の表現が他にもいろいろあると思う。

 たとえば「おかげさま」。この言葉が私は好きだ。

 ただ、ある人がこの「おかげさま」という言葉を、卑屈な感じがすると言っていたのを聴いたことがある。どうして卑屈と感じるのか。それは慢心が強いからだろう。あるいは、意味を取り違えているからかもしれない。

 これはぜんぜん卑屈な意味などではないと思う。謙虚さと卑屈さは全く意味が違うから。

 辞書的な正確な意味の由来は私は知らないが、私自身はこの「おかげさま」には、二つの意味があると思う。

「最近調子はどうですか?」
「おかげさまで」

「合格してよかったですね」
「おかげさまで」

「無事でよかったですね」
「おかげさまで」

 このような形で「おかげさま」は使われると思うが、その一つの意味は、「あなたの陰の力添えがあったから、わたしはそのようになれたのですよ」という意味があると思う。
 いや、それは、合格とか、無事とか、相手には全く関係ないじゃないかというかもしれない。
 そうではない。あらゆる意味で、この世のすべての存在は、影響を与え合っているのだ。もちろんそれは、良い影響も、悪い影響も与え合っている。しかし一つの真理として、相手から来る悪い影響を考えたり責めたりしても、それは自分のためにならない。そうではなく、少しでも相手からの良い影響があるならば、それを感謝するのだ。「あなたの陰の力添えがあったからですよ」と。
 いったいどんな良い影響があったのか。それはわかるに越したことはないが、わからなくてもいいのだ。「すべての人を自分の師と見る」という言葉があるが、同じように、「すべての人を自分の恩人と見る」のだ。それは真理であり、その実践者自身に大きな恩恵を与えるだろう。

 さて、「おかげさま」のもう一つの意味は、周りの人々というよりも、この宇宙に偏在する絶対的な神的存在への感謝という意味があると思う。つまりこれはバクティ・ヨーガ的な考え方だ。「すべては神の祝福です」という意味だ。この宇宙の陰には、見えない存在として、絶対的な神の愛がある。私はどんなときもその愛の恩恵に浴しているのだ、という絶対的な信頼と感謝と安心感だ。

 さて、この文章も、特にいろいろ思索したわけではなく、ふと思いついてサーッと書いた。これも神のおかげであり、また皆さんのおかげです。私もこれによって恩恵を得た。感謝いたします。
 

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