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あらゆる神々の生命力を得ること(1)

あらゆる神々の生命力を得ること

ウルギェン・リンポチェ

 チベット仏教の様々な派は、主神の修行をどのように見なすかにおいて異なっている。 
 サキャ派の新しい学校では、生徒は、日々のマントラの読誦を通して、生きている主神に対する関係(絆)を保たなければならない。その関係(絆)は、エンパワーメントを通して得られるものであり、日々のサマヤの修習を守ることによって維持される。さもなければその絆は消えてしまう。日々の修習を守らないものは地獄に行くとは言われないが、サキャ派の伝統では、主神との絆を保つために、日々の修習が強調される。そういうわけで、サキャ派のラマは、日々の修習に関する分厚い本を持っている。

 その点はカギュー派やニンマ派では違っていて、カギュー派やニンマ派では、“あらゆるものを一つの中に凝縮すること”が強調される。このアプローチにおいて、あなたが一人の神を修習するならば、他のすべての神々は自動的にそれに含まれる。
 あなたが一人のブッダを悟った(認識した)ならば、同時に他のすべてのブッダを自動的に悟ったことになる。

 “一人のブッダを悟りなさい。そうすれば、あなたは彼らすべてを悟る”という言葉は、あらゆるブッダは原初の覚醒の広がりの中に一つである、ということを意味している。
 それは、無限の空間、空(そら)の広がりのようである。我々は、世界の一部分に対して一つの空があり、他の部分に対しては別の空がある、ということはできない。同様に、あらゆるブッダの空間的な覚醒した心は同一であるが、彼らは違った形で姿を現す。しかし彼らが本当は何であるか、その本質は、異なった実体から構成されているのではない。

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