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「解説・ミラレーパの生涯」第一回(5)

【本文】

 マルパのミラレーパいじめは、それからもいっそうひどくなっていきました。建築作業の試練だけではなく、例えば弟子たちが集まって教えを受ける場において、ミラレーパだけを排除し、みなの前でののしり、暴力を振るうなどして、ミラレーパを精神的に追い詰めました。
 あるときは過酷な重労働で、ミラレーパの背中に大きな傷ができました。それを見かねたマルパの妻ダクメーマは、マルパに懇願してミラレーパに休みを与えてくれるように頼みました。数日間、ミラレーパは休みを与えられ、その間、ダクメーマがおいしい食事でミラレーパを癒してくれました。数日後、傷が治りつつあるのを見て、マルパはミラレーパに、仕事に戻ることを指示しました。そしてミラレーパに布を渡して、「これを使って傷口に泥が入らないようにして、石や材料は体の前で運べ」と言いました。ミラレーパはこれを師の命令と考え、言われたとおりに、その布で傷口を守りつつ、重い石や材料を体の前で運びました。マルパはミラレーパに対して厳しい態度の演技をしていましたが、このミラレーパの姿を見て、「言われたことすべてにこのように忠実に従うとは、稀なことだ」と、密かに涙を流しました。

 はい。ここは感動的な場面ですけどね。過酷な重労働によってミラレーパの体にね、大きな傷ができたと。で、ここでダクメーマっていうのが登場するんですが、マルパの奥さんね。このダクメーマって人は面白いんだけど――マルパっていうのはすごい厳しい人だったわけだけど、ダクメーマってすごい情緒的な人だったんだね。で、ここでもまあミラレーパがかわいそうでしょうがなかったと。っていうのは、ミラレーパっていうのは、もともとミラレーパの性格をいうならば、さっきも言ったように、明るくて、で、なんていうかな、純粋なんですね。純粋に、師に対してなんの疑念もはさまないと。何やられても、ただ従うと。で、それがもう奥さんから見たら、もう健気でしょうがなかったと。もうどんなひどいことを言われても、「はい。わたしの努力が足りませんでした」と言ってね、ついていくと。それが健気でしょうがなくて、旦那さんであるマルパがやってることがあまりにももうひどく見えたダクメーマは、まあいろいろミラレーパに対してね、手助けをしたりするんだね。ここに書いてあることだけじゃなくて、たまにね、マルパの目を盗んでミラレーパを呼んで、おいしいご飯を食べさせたりとかね(笑)。そういう、なんていうかな、ケアをするんだね。
 で、このときも、マルパに懇願してね、あまりにも傷がひどいので、ちょっと休ませてくれって言って、ちょっと休ませてもらうことに成功したわけだけど。
 これはね、表面的にはですよ、表面的には――いいですか?――ダクメーマはマルパの意思が分からなかった。つまりマルパは意味があってミラレーパをいじめてたんだけど、ダクメーマはそれがよく分からずに、かわいそうだっていう情によって、まあ言ってみれば表面的にマルパの邪魔をしたわけだね。本当はもっといじめなきゃいけないのに、優しくして邪魔をしたわけだけども、実はこれはもっと大いなる目から見たら、実はこれも神の意思なんです。
 これはいろいろ見てると、わたし自身の経験でもそうだし、いろいろ見てるとそうなんだけど、つまり大いなる神っていうのは、皆さんが本当に熱意を持って道を求めたいって思い始めたら、必ず試練を与えます。それはこのミラレーパのような、皆さんのカルマにあった試練を与えます。しかし絶対、試練だけじゃないんです。必ず飴も来るんです、ちょっと(笑)。飴っていうか休息っていうかね。必ず来ます、これは。もちろん皆さんが逃げてたらきませんよ。逃げてたらただそれで終わりだけども、じゃなくて、自分のカルマに立ち向かって、その苦しみに心を曲げずに素直に純粋に修行を頑張っていると、必ずポッと、ちょっと休息っていうかな、安らぎの時間がやってくるんだね。それはこういう感じでダクメーマみたいに人間として現われる場合もあるし、あるいはそうじゃなくてまあ状況として現われるかもしれない。だからこれは表面的にはダクメーマの失敗とも映るわけだけど、実際にはそうじゃなくて、大いなる仏陀っていうかな、神が与えたミラレーパに対する強烈な浄化およびその途中における、まあちょっと休息っていうかな、安らぎによってミラレーパをうまくこう導いてたって見た方がいいと思うね。
 はい。で、ここでそのミラレーパがものすごいひどい傷を癒すためにちょっと休んだあとに、またね、そろそろ仕事に戻れと言われて戻るときに、まあマルパから布が渡されてね、「これを使って傷口に泥が入らないようにして、石や材料は体の前で運べ」と言われましたと。
 この場面をもうちょっと言うとね、つまり奥さんの懇願によって、しばらくぶりにちょっとだけ休むことができたと。で、数日後に、まだもちろん傷は全然治ってないんだけど、マルパがまた厳しいふりをしてやってきて、「いつまで休んでいるんだ!」とね。「そろそろもう働け!」って言って、で、ミラレーパは、そこで何の口答えもせずに、「分かりました。では今日からまた働きます」と。そしたら、マルパが布を渡すんだね。「さあ、これを使え」と。「これはどうするんですか?」と。そしたら、その傷口に土が入らないようにね、体に巻いて、それで――普通は今まではこう背負ってたわけだけど、普通にこう裸で背負ってたわけだけど、じゃなくて、布をうまく使って、体の前で運べと言ったんだね。そしたら、見てたら、ミラレーパはなんの、ね、もちろん言い返しもせず、聞き返しもせず、あるいは自分のやり方も考えることなく、もうただマルパが言ったとおりにやってたんだね。で、それを影から見てマルパは、ね、「言われたことすべてにこのように忠実に従うとは、稀なことだ」と密かに涙を流したと。
 もちろんこのときだけじゃないでしょう。このときだけじゃなくて、おそらくミラレーパは本当に、なんていうかな、まあ端から見ればバカみたいにね、師の言われたことにただ従っていたと。
 ここでマルパがそれを見て涙を流すっていうのは、つまりそういう人は稀なんです。まあさっき言ったように、ナーローはもちろんそうだったわけだけど、ナーローの場合は、何回も言っているように完成者なんで。ほとんどね。もうそこにおいて躊躇も全くないっていうか、悩みも何もないというかな(笑)。普通に、普通に自然にやってるわけだけど、じゃなくて、まだこういうね、いろいろ心にけがれがある段階なんだけども、ミラレーパはその純粋なる信、純粋なるその帰依の心によって、すべてにただ従ったと。
 例えばですよ、言ってみればね、師が「こうやって布で前で運べ」って言われてね、これさ、普通に考えたら、教えと関係ないじゃないですか、あんまり。仏教の教えとかと何も関係ないし、で、目的が塔を造るっていう目的だとしたら、それが完成されればいいわけだから、例えばもうその段階でね、「やっぱりこっちの方がいいんじゃない?」と思ったら、マルパがいなくなった段階で、やっぱりこっちのやり方でやってみようかな、とかやると思うんだよね。だけどミラレーパはそれをやらない、つまりもうほんとにバカみたいに――バカみたいって言ったらあれだけど、バクティ的な言い方をすれば、赤子のように、あるいは二歳の子供のように、ただ従ったんだね。つまり例えば二歳ぐらいの子供にとっては、ね、お母さんがすべてであると。ね。この世のよりどころはお母さんしかいないと、そういう感じですよね。だからこの世のよりどころは神しかいない。あるいはその神の体現者である自分の師しかいない。そういう発想っていうか、心の純粋さを持っている人は、今言ったようにね、一切自分の考えを入れないと。自分の考えを入れないで、こういうふうに運べって言われたら、もうほんとにただそのように運ぶと。で、師匠がいなくなっても――だからそれは建前ではなくてね、誰もいなくても、ただもくもくと言われたことだけをやり続けると。
 今日の教えっていうか、この系の教えっていうのは、いつも言っているけど、かなり実は高度な教えなんです。高度な教えなんで、さっきのゾクチェンの話じゃないけども、まだ準備ができてない人や智慧の低い人が聞くと、ちょっと勘違いをします。例えばね、この今ずーっとわたしが言っていることを一言で言うならば、何も考えずに従えってことになるよね。こうなると、なんていうかな、ちょっとこう、智慧がないように見えるし、あるいは単純に師や神に、いいように使われてるんじゃないかみたいな思いがわく人がいるかもしれない。こういう教えを聞くとね。でもそうじゃないんだね。で、そのそうじゃないっていうのは、なかなか言葉では伝えられないわけだけど、もっともっと純粋な世界の話なんです。こういう話っていうのはね。だからあんまりこの話っていうのは、大っぴらっていうかな、まあ一般的にはあんまり言えないと言いつつ、まあよくネットとかに載せてるけどね(笑)。

(一同笑)

 言えないと言いつつもね(笑)。でもそうなんだね。だからそれはもう皆さんがしっかりとね、心の――さっきから言ってるような、心の中におそらく皆さんは持ってるでしょう、その純粋なるバクティとか、信の灯火みたいなものをしっかりとその大事にしてね、で、けがれとかをしっかり落として、それをしっかりとよみがえらせたらいいと思うね。

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