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「解説・マルパの生涯」(3)

【本文】
 ナーローはマルパを弟子として受け入れ、多くの秘法を伝授しましたが、自分が教えるだけではなく、他の何人かの密教行者の下へマルパを送り出し、教えを受けさせました。マルパはそれらの多くの教えを学び、研究し、修行し、成就し、自分のものとしていきました。

 はい。ここのところ、ちょっとだけ説明すると、ナーローはマルパを弟子として受け入れました――まあもともとね、これ、ナーローの師匠であるティローっていう人が、マルパの到来を予言してたんだね。つまりチベットから、おまえのね、一番弟子がやってくると、予言してたんですね。だからナーローはもともとこのマルパを素質のある自分の一番弟子として受け入れたわけだけど。
 ここでナーローがやった面白いことは、例えばね、まあまずマルパを受け入れて、自分が知っているいろんな教えを伝授するんだけど、それだけではなくて、例えばマルパがある教えを学びたいって言ってきたら、自分で教えずに、「どこどこの、これこれといういう聖者の下に行け」――と言って、別の聖者の下に行かせるんだね。で、こういう感じで、自分でももちろん教えるんだけど、自分だけじゃなくて、ほかの聖者達からも教えも受けさせると。まあただ――その人達全員、ナーローの弟子なんだけどね。自分の弟子の下に行かせている感じなんだけど。
 例えばまあ一例を挙げると、マハーマーヤーっていう教えがあるわけですけども、マルパがね、そのマハーマーヤーっていう教えがあるというのを聞いて、「マハーマーヤーについて伝授してください」ってナーローにお願いしたらね、ナーローが、それだったら、クックリーパ――クックリーパっていうのは「八十四人の成就者」に出てくるけども。これもちょっと変わった聖者でね、いつも犬と一緒にいる変わった聖者なんだけど(笑)。それで顔がサルみたいだっていう(笑)。顔がサルみたいでいつも犬と一緒にいるっていう聖者で、そのクックリーパの下に行けと言われるんだね。で、「そのクックリーパはどこにいるんですか?」って言ったら、どこどこという町の、毒の海の島にいるって言うんだね(笑)。「毒の海の島ですか?」――で、マルパはそこに冒険して行くんだね。冒険して行って、まあいろんな困難を乗り越えて毒の海を渡って、島に辿り着くと。そうすると、クックリーパらしき人はいないんだけど、なんか手が鳥の羽みたいな男がいて、その男が顔を覆って座っているんだね。で、「まさか」と思ったんだけど、聞いたらそれがクックリーパだったんだね(笑)。で、まあなんとか辿り着いて、教えを受けるんだね。マハーマーヤーの教えを伝授されると。で、ナーローパーの下に帰ってきて、そこでナーローパが言うには、「ああ、よくやってきた」と。「わたしはもちろんそのマハーマーヤーの教えをおまえに与えることもできたが、このマハーマーヤーに関しては彼こそ――つまりそのクックリーパこそが――大家【たいか】である」と。つまり、マハーマーヤーの専門家のね、聖者であると。「だから、おまえをあそこに送ったんだ」と。で、もう一回言うけども、このクックリーパもナーローの弟子でもあるんです。だから全員、まあつながりがある聖者の下に送り込んでるんだけど。
 で、これはちょっと面白いのは、これはまあ一つの推測になるわけだけど、当時ね――何回もこれ言っているけども、インド仏教は滅びの危機にあった。滅びの危機っていっても、何か兆候が現われていたかどうかは分かんないけど。
 その歴史的な、運命的な流れとしては、つまりマルパとかがいた時代のちょっとあとに、まあ一瞬にしてというか――歴史の流れから見たら本当に一瞬にして、インドから仏教は姿を消すんです。まあそれはイスラム教の侵入とか破壊とかいう理由もあったんだけど、それ以上に、インド仏教が、ちょっと民衆からね、見放されていたとも言われている。なんていうかな、学問仏教に走り過ぎてね。で、一気に姿を消すわけだけど。
 で、結果的に、そのちょっと前に――さっきから話していたような、チベットの仏教徒たちがゴソッとインドにやってきて、インドの仏教を学んで持ち帰ってくれてたおかげで、地球上に、まあ最盛期のっていうかな、その最後のインド仏教は残ったんですね。つまり逆に言うと、チベットにしか残らなかったわけだけど。チベットだけに、まあ最後の時代のインド仏教っていうかな――は残された。
 これはいつも言ってますけどね、中国とか日本に伝わった仏教っていうのは、まあ大乗仏教、または初期の密教なんだね。大乗仏教および初期の密教時代の仏教が中国に伝わり、そして日本に伝わりましたと。で、そのあとの、後期密教っていうかな、最盛期の密教っていうのはまあ、チベットにしか伝わらなかったんだね。で、マルパ自体もその一つの大きな役割を担ってね、まあマルパも多くの経典をチベットにもたらして、翻訳しているんだね。大きな役割を担ったわけだけど。まあおそらくナーローはそれを分かっていて――つまり単純にこのマルパっていう男は、自分のね、一人の弟子として来たわけではなくて、インド仏教の全体の歴史を背負わなきゃいけない。まあ結果的にはチベットは四つの派ができるわけだけど、つまりその一つを担っていたのがマルパだから、インド仏教の全体像をね、全部このマルパに伝授しなきゃいけないということが、たぶん分かっていたのかもしれない、ナーローはね。だから、まあ自分と関係のある、各それぞれのエキスパートの所にマルパを送り込んだんだね。
 つまりまあ逆の言い方をすると、ナーローと関係のあるいろんなタイプの聖者たちが、マルパ一人に対して徹底的に教育したわけだね。「さあ、おまえが、インドで滅びゆく仏教を、これからチベットに伝えていくんだ」という感じで伝授したんだと思うね。そういうことはまあ、本人たちは言ってないけどね。言ってないけど、全体の流れを俯瞰して見ると、まあそんな感じがしますね。
 はい。じゃあ次行きましょう。

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