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「解説・マルパの生涯」(1)

2010年9月29日

「解説・マルパの生涯」

 今日は「聖者の生涯」。ナーローがこの間終わってマルパね。新しいシリーズに入ります。
 はい。マルパは、皆さんも知ってのとおり、まあナーローパの弟子にしてミラレーパの師匠ですね。チベットのカギュー派に伝わる教えっていうのが、まあティローパ、ナーローパ、マルパ、ミラレーパ、そしてガンポパと続いてきているわけですけども、まあ実質的にはね、このティロー、ナーローっていうのはインド人なので、チベットにおける、なんていうかな、カギュー派の開祖というと、まあこのマルパになるんだね。つまりチベット人であるマルパがインドに行ってナーローの教えを持ってきて、チベットに定着させたわけですね。そのチベットの、カギューと言われる教えの開祖であるマルパの物語ですね。
 はい。じゃあ読んでいきましょうね。

【本文】

 マルパはチベットのロタクというところで、一〇一二年に生まれました。
 子供のころのマルパは大変乱暴でかんしゃく持ちだったので、両親は彼を仏教の師のもとに預けました。マルパはドクミという師のもとでインドの言葉や初歩的な教えなどを学びましたが、教えの深い部分をドクミが教えてくれなかったので、マルパは自らインドに行く決意をしました。

 はい。マルパは一〇一二年に生まれましたと。で、子供のころは大変乱暴でかんしゃく持ちだったと。で、子供のころだけじゃなくて、結構ずーっと怒りっぽい(笑)――ふうに描かれるよね、マルパってね。だからそれが、まあ彼の一つの性格っていうかな、性質だったんでしょうね。で、子供のころは非常に乱暴なかんしゃく持ちだったと。
 ただこれはさ、いつも「八十四人のシッダ」とかでもよく言っているけども、何がいいか悪いかって非常に分からないところがある。例えばこのマルパも、これを見るとね、乱暴でかんしゃく持ちだったので、彼を仏教の師の下に預けたと。つまり乱暴であったがゆえに仏教の道に入ったっていう(笑)、変なその、なんていうか因果関係があるわけだけど。まあもちろんすべてはつじつま合わせだけども、表面的なものっていうのはね、そういう意味では何がいいか悪いかっては分からない。
 はい。で、そのドクミと言われる師匠の下にまずついて、で、最初はね、インドの言葉や、あるいは初歩的な仏教の教えを学んだんだけど、深遠なる教えに関してはこのドクミはマルパに教えてくれなかったと。で、このドクミが、そのような深遠な教えを知らなかったわけではない。なぜかというと、これはとても面白いんだけど――まあいつも皆さんに言っているように、チベットっていうのは今、ゲルク派、サキャ派、カギュー派、そしてニンマ派とあるわけだけども――まあ前にもちょっと言ったんでそんな深くは言わないけど、このうちニンマ派っていうのは、まあ古派と言われて、つまりまあ古い――このマルパとかの時代よりもかなり前に伝わったね、パドマサンバヴァとかの時代の仏教を受け継いでいるのがニンマ派なんだね。で、カギュー、サキャ、ゲルクの三つは、そうじゃなくてこのマルパの時代と、あまりまあ遠くない時代に、新しくね――つまり新たに正統的にインドから仏教を輸入しようっていうことでムーブメントがあって、そこから生まれたのがこの三つの派なんだけども。そのうちの一つであるサキャ派っていうのがあります。
 で、このサキャ派っていうのはあまり日本では、まあ有名じゃないっていうか、あんまり注目されていないっていうかね。例えばダライ・ラマ法王が属するのはゲルク派ですね。だからゲルク派っていうのはすごくその、まあ日本でも世界でもいろいろこう布教しているわけですね。で、カギューっていうのはまあ、いつもここで名前が出るミラレーパとかマルパとかああいう世界がカギューだね。で、ロンチェンパとかあるいはパドマサンバヴァとかが活躍しているのが、まああるいはあの『虹の階梯』とかで有名なパトゥル・リンポチェとかね。あの辺はニンマ派ですね。で、そうしてみるとサキャ派っていうのはあんまりその、日本では有名じゃないっていうか、他の派に比べるとあまり目にすることがないんですが、まあサキャ派もチベットでは大きな宗派の一つで。
 で、このサキャ派の初期の教祖的人物が、このドクミの下で――あの、ニンマ派にはゾクチェンという秘儀の教えがあって、で、カギュー派にはマハームドラーっていう秘儀の教えがあるわけですが、同じようにサキャ派にはラムデーっていう秘儀的な教えがあってね。で、サキャ派の初期の教祖がこのドクミの下で、このラムデーと言われる秘儀を伝授されて、それがサキャ派の中心的な教えになったって言われているんだね。つまり、非常に面白い関係があるんだね。つまりこのドクミっていうのは、カギュー派の開祖であるマルパにも教えを与え、で、サキャ派の初期の教祖にも教えを与えているんだね。でもマルパにはあんまり教えなかったんだね(笑)。サキャ派の教祖にだけ奥義を教えたんだね。まあつまり、まあ簡単に言ってしまうと縁がなかったんだろうけども(笑)。つまりマルパはナーローパと縁があったんで、おそらくこのドクミとは縁がなかったんでしょうね。まあ、もしくは表面的には、マルパがちょっと乱暴だったんでね、教えなかったっていうのもあるかもしれない。でもまあそういうのはつじつま合わせ的な話で、おそらく縁の問題で、ドクミはね、マルパに深遠な教えは与えることがなかった。まあでもこの辺もさっき言った、何がいいか分かんないっていうのは、もしここでマルパがドクミからね、奥義を教わっていたとしたら、マルパはインドに行かなかったかもしれないからね。しかしここで、ドクミから奥義を拒まれたことによって、自らインドに行って深遠な教えを学ぼうっていう決意をしたわけですね。
 はい。じゃあ次行きましょう。

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