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「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第二回(7)

 はい。そして十番が、「繁華街へとあてもなくぶらつくこと」。はい。これはまあ、これもさ、ただこれだけとってみると、そんなに大悪業って感じじゃないけども、もちろんそれによってまたわれわれの煩悩が増大する可能性になるわけですね。あの、当然――まあこないだっていうか、いつも行ってる丹沢とかね、ああいう山に行くとさ、当然――まあ、あそこがいいのは、例えば携帯も入らないと。情報がないと。だからわれわれの心が散乱しないわけですね。修行と、その自然の美しい、ああいう環境だけで心が静まっていく。でも、繁華街というか街に出て――まあ特に繁華街と言われる場所を歩くと、当然耳からも目からも、いろんな外側に向かうような情報がいっぱい入ってくる。美味しい食べ物や、あるいはさまざまな芸能人の男女や、あるいはそうだな、その人が好きだったいろんなことがあるよね。たとえばスポーツが好きだった場合、その好きなスポーツのなんかいろいろ出てきたりとか、あるいは自分がいろいろ修行とは関係ない趣味がいっぱいあって、で、そのお店屋さんがあるとか、ね。それによって、なんていうかな、無駄な煩悩ね。だったら家にいたらよかったのにってなるよね。家にいたら別に何も出なかったのに――あるいは、まあ経行するにしても、ねえ、あまり人のいないところを歩いてればよかったのに、わざわざ繁華街歩いたおかげで、いろんな情報が入っちゃって、無駄な煩悩がこう増してしまうと。まああるいはバクティの見地から言うと、当然、神で頭をいっぱいにしなきゃいけないのに、さまざまな――まあつまり繁華街っていうのはさ、結局は商売の理屈でできてるわけだから――まあつまり逆ですよね。逆に、「いかにみんなの心を煩悩に結びつけるか」っていうシステムでできてるわけです。ね。だってそうじゃないと繁華しないから、繁華しないっていうか、繁華街にならないからね(笑)。誰も引っかからないような繁華街なんて、繁華街じゃない(笑)。

(一同笑)

 みんながなんか歩いてて、「ああ、あれ食べたいな」「あ、あの店入りたいな」「あ、なんかちょっとあそこで遊びたいな」って思うから繁華街なわけだから(笑)。だからそのような誘惑が多いところは、まあわざわざ行く必要はないと。
 もちろん理由があるんだったら別にいいですよ。例えば、この、どうしてもここで買い物しないといけないとかね、それはかまわないけども、あてもなく理由なくぶらつくことによって、無駄なマイナスが出てくると。だからこんなことはやる必要はないってことですね。

 はい、じゃあいったん、ここまでで何か質問その他ある人いますか? 

(K)修行始めてから、お酒を飲んでも、飲んでも飲んでも酔わないんですけど、修行するとお酒に酔わなくなるんですか?

 うーん……ていうか、なんで飲むの(笑)?

(K)なんで酔わないんだろうと思って、いっぱい飲むんですけど。

 あのね、それはちょっと難しい問題があってね。例えばその修行と関係なくさ、つまりそのアルコールのね、分解する力がさ、その肉体、物理的にね、強い人と弱い人があって、特に女性の中で強い人も結構いるんだね。その場合は一般にいう酒が強いとか、まああまり酔わないっていう人になるというか。あの、まあわたしは、実は例えば会社に勤めてたときも、そんなに大量に飲んだことって、実はないんです。あの、よくみんな、もう意識を失うくらい飲むとかよく言うけども、そんなわたし――だから基本的には酒が嫌いだったのかもしれない。なんか酔いたくないっていう気持ちがあったんだね。あのマリファナとかもそうでさ、マリファナっていうか――わたしはマリファナは吸ったことはないんですが、前にも言ったけど、インドに行ったときにね、バングクッキーってあって(笑)。バングクッキーってあの、まあつまり大麻入りクッキーか。街角で売ってて(笑)。で、それ食べたら――まあつまり、わたしマリファナに興味なかったんだけど、それはまあ食べるマリファナみたいなやつで。あとわたし、タバコが嫌いなんだよね。あの、わたし珍しい人なんですけど――珍しいっていうか(笑)、生まれてから一度もタバコ吸ったことがないんです。なんかああいうの好きじゃなくてね。で、だからマリファナももう、前段階で嫌だったんだけど、でもなんかクッキーなら面白そうだなと思って(笑)、クッキー食べたら、「あ、これか!」って。つまりマリファナのその、はまった感じが分かったんだけど、あれはわたし、嫌いだったね。ああいう感じ嫌なんです。だからその、深い意識に入るにしても鮮明な感じで入った方がいいから、だからその――ちょと話がずれてるけども、酔っぱらうこと自体好きじゃなかったんだけど。ただわたし自体も、そんなに多分酔わないほうだった。ある程度飲んでもね。で、それはまあ、ただの第一段階で、そのそれぞれの物理的な肉体の面の話があるね。
 で、ちょっとそれは置いておいて、そうじゃなくて、修行が進むと当然意識の鮮明度が増します。鮮明度が増すっていうのは、まあ強くなるんだね、意識がね。強くなるってことはつまり、まあ別の言い方をするときれいになるんですけど、きれいになることによって、意識が集中した状態で、鮮明な状態で長くいれるようになる。で、この状態で死んだら、この人は鮮明な意識のまま死のプロセスを進むことができる。だからとても素晴らしいですね。あるいはその状態で深い瞑想に入ったら、普通の人は深い瞑想に入っちゃうと、こっくりと寝てしまうんですけど、寝ないで素晴らしい心の奥の世界を旅することができる。これは素晴らしいね。
 だからその、Kさんの場合はどっちか分からないけども、単純な肉体的なその酒を分解する力が増してるのかもしれないし、じゃなくてその、意識が本当の意味で鮮明度が増してるとしたら、これは素晴らしいことだね。うん。
 で、それがさっき言った、ミラレーパとかの話の場合ね。ミラレーパとかああいう密教で酒を使うときっていうのは、まず意識が鮮明じゃなきゃいけないんです。意識が、まああんまり酒にはこう持っていかれないというか。その状態があって、その酒のメリットだけをこう利用するんだね。まあそれが酒の場合ね。
 まあだから、この中にもいるかもしれないけどさ、もし酒がどうしてもやめられないとか、つい飲んでしまったっていう人がいたら、そのあとしっかりとムドラーとかね、燃やすような修行をいっぱいやったらいいね。うん。それによってその――まあそうだな、デメリットがないかどうかは別にして、まあ一応メリットにもなるっていう(笑)。その分はその、ちょっと――まあ飲まないのが一番ですけども――飲んだときには、熱を燃やすような修行ね。ムドラーがいいと思うね。ムドラーとか、あとエネルギーを回すような修行ね。それをしっかりやったらいいと思うね。はい。

(K)わかりました。ありがとうございました。

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